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2011/4/19 言葉を憎んでよいのか。

風が強く吹いている。
三浦しをんの小説のタイトルではないがゴミを捨てに外へ出ると風がやたらと強い。
それも冷たい風、吉野山へは昨日行っておいて正解だった。


…3.11の震災直後、言葉の力というのは大きいと実感した。
一ヶ月も経った今、理由は確かではないが急激に力を失っているのを感じる。
読売新聞の書評「本よみうり堂」で素晴らしい文章に触れ何度も頷いた。
3月11日の後で、と題されたシリーズ。
読みながらぞくぞくっとしてしまった。


松山巌が愛読書だったアランの『幸福論』を久しぶりに読み返した感慨を綴っている。
ネットにも全文アップされているがあえて自分の手でタイピングした。

 

言葉を憎んでよいのか。


あの日以来、言葉が揺れ続け、言葉が怒濤となり、
我々に襲いかかり、言葉が汚染し、漂っている。


言葉を恨んでよいのか。


崩れ、散乱した本の山から、あの文庫本を探す。
愛読したあの本を。以前と変わらぬ言葉を求めて。

  
「多くの者が恐怖を、ことばでもってやっつけている。
しかも強い論拠をもって。ところが、恐怖を感じている者はその理由など聞かないのだ」

   
「優しさや親切やよろこびのしぐさを演じるならば、
 憂鬱な気分も胃の痛みもかなりのところ直ってしまうものだ」


切れ切れに読んだ言葉を信じたわけではない。
きれいごとだ、嘘だとも思う。
でも、それでもとページをめくり続ける。


「自分でやること、人にやってもらうのではない。
   そこにはよろこびのいちばん深い意味がある」


「死者たちは生きようと欲しているのだ。君のなかで生きようと欲しているのだ。
君の生を通して、自分の欲したものがゆたかに展開されることを望んでいるのである」


違う。現実はもっと無情で悲惨だ。
でも、それでもとアランの言葉を読む。
いや、そうではない。ただ読んでいるのではない。
疑い反発し、でも、それでもと彼と対話している。


「笑うからしあわせなのだ、と言いたい。幼な子は笑って楽しんでいる、
 ちょうど食べて楽しむのと同じように。しかし、まず食べる必要がある」


「真価を発揮するのは口調であって、ことばそのものなど小唄ほどにも意味がないのだ」


言葉を疑ってよいのか。

  

『幸福論』はどの文章も短い。
アランは日記や手紙のように日々弛まず幸福を得る短い言葉を綴った。
欲していた言葉に、言葉と言葉の行間に気づく。
求めていたのは、楽天主義の哲学者アランのいつに変わらぬ息遣い、声、笑顔だ。


「不安や羨望や悔恨からくるしかめ面は、だれにも似合わない」


また強い余震だ。
不安も恐怖も収まらぬなかで、アランの声に和し、せめて心を鎮めたい。
今は笑い声の聴こえる言葉を綴りたい。
あえて笑い笑って呟く。


言葉を憎んでよいのか。    
             (読売新聞 4/17 10面「本よみうり堂」)

 

 

 

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20110418-OYT8T00368.htm


街やメディアに氾濫する「がんばろう」とか「信じてる」とか、
そういった次元のことを書いているのではないのかもしれない。
言いたいことを凄く高尚に翻訳してもらったような気分。
古典の名作を思わせる書き出しから、言葉を憎んでよいのか、で締められるラストまで、
言葉の無力さを感じている今の自分にダイレクトに響く文章だった。
効能のある温泉につかっているようにじわじわと身体にしみた。


  あの日以来、言葉が揺れ続け、言葉が怒濤となり、
  我々に襲いかかり、言葉が汚染し、漂っている。


  真価を発揮するのは口調であって、

  ことばそのものなど小唄ほどにも意味がないのだ


みんなが同調圧力で同じことしか言わない、あるいは言えない。
反対に言葉の力が弱まっていくことを感じる。
誰もが慣用句のように意味を失った同じ言葉を発する。


ふと、中田英寿のことを思い出す。
みなさんJリーグを見に来て下さい、と言ったヒデのことを。
詩人の茨木のり子は彼の言葉を高く評価していた。
読みかけの『清冽〜詩人茨木のり子の肖像〜』、再開しよう。
言葉の力を信じたい。

清冽―詩人茨木のり子の肖像

清冽―詩人茨木のり子の肖像


…今日は一日中自宅にこもっていた。
ちょっと遠出すると一日休養するというのはどうなのだろう。
贅沢でもあるし、同時に情けなくもある。


…甲子園の阪神巨人戦、能面のような無表情の能見が7者連続三振、フォークが冴える。
成瀬vs涌井、岩隈vs和田、エースの投げ合い。
ダルビッシュvsT-岡田、24歳と23歳、若きエースと主砲の対決、見応えがある。
やっぱりパリーグが面白いなあ。


そうかあ。
オリックスの駿太はチームに同じ後藤がいるから、というのもあって駿太なのか。
俊介だって球児がいなかったら普通に藤川で登録してただろうな。
T-岡田だって岡田監督がいるから。(就任と改名、どっちが早かったっけ?)
自分のことを考える。
ファーストネーム登録だと「ヒロシ」になる。
これは無いなあ。
自虐的なプロ野球選手ってのも。
かといってT-岡田風に、H-塩田(エッチしおだ)ってのもあり得ない。
プロ野球選手じゃなくてよかった?