2012/5/9 秀次とウイリアム(京都編)

午前中はポートウェーブ西宮で筋トレ+プールで汗を流す。
午後からのんびりと阪急電車で京都河原町へ出る。
夙川から十三は梅田行き特急、十三から京都線の河原町行き準急、
高槻市駅で特急に乗り換えると坐っていける。


夙川駅へ行く前に海沿いのアカシアを見に行く。
近づくと石けんのような清潔感ある香りが風に運ばれてくる。
ほぼ満開、だろう。
ニセアカシアは週末で見納めだ。


図書館へ寄り、建築家ウイリアムス・メレル・ヴォーリズ関連の本を借りる。
山形政昭『ヴォーリズの建築 〜ミッション・ユートピアと都市の華〜』という1989年の本。
てん、久々の登場です。


途中、長岡京市あたりで雨に降られる。
河原町へ着くと晴れていた。
さっそくヴォーリズ建築巡礼。
眼鏡堂一族が先日に行ったという四条大橋西詰めの「東華菜館」です。
小学生の次男くんが日本最古のエレベーターを運転させてもらったとか。
味もなかなかいけたらしい。
内装もじっくり見たいのでいつか行ってみよう。


借りた本を電車で読みながら来た。
東華菜館の解説に「装飾のごちそう」とサブタイトルがつけられている。
東洋趣味も加味されたスパニッシュ・バロックの様式美。
ヴォーリズ建築作品で唯一といっていいスタイル。


長崎の活水学院もヴォーリズ建築事務所の作でしたか。
あの建築群には心奪われた。
どうやら僕はヴォーリズが手がけた建物が好きなようだ。
「ぷよねこ長崎紀行」 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110830/1314663112


  「実際メレル・ヴォールズは、ヤンキーのヤンキーである。
   日本にきても少しもヤンキー味が抜けてをらない。
   もし日本人が米国人の米国人を見たいと思へば、メレル・ヴォールズを見るのが一番良い。
   賢くて快活で一生懸命で、発明的だ。そしてやんちゃで、苦難を平気で切り抜けていく。
   ……メレル・ヴォールズは世界の中心は近江八幡というてゐる。それほど諧謔の持ち主である。
   これも彼がヤンキーである証拠だ。あの男はちょっとやそっとでへこむ人間ではない。
   滑稽家であったアブラハム・リンコルンが奴隷解放をした如く、この中背のヤンキーは泣くべき所でも笑ひ乍ら仕事をする。
   私はメレルの中に善きものを発見するのは此処である。」 (大正12年 『近江の兄弟』の序文 賀川豊彦)


ヴォーリズは近江八幡で建築事務所を始めてから当時の本国や世界で流行している建築のトレンドを日本に持ち込んだという。
「もし日本人が米国人の米国人を見たいと思へば、メレル・ヴォールズを見るのが一番良い」
同様にヴォーリズが作った建築物を見れば、これがアメリカだ、と思わせてくれる。
近江八幡の一角にある西洋住宅群の周りを歩くと不思議な気持になる。
     
大正時代、べんがら格子に黒瓦の家々が並ぶ近江の商人町に忽然と表れたアメリカ。
進取の気質に富んだ近江八幡の人だって驚いただろうな。

 

…もうひとりは秀次。
近江八幡の町をつくった羽柴秀次(のちの豊臣秀次)の墓所が三条小橋のたもとにある。
角倉了以が弔いのために開いた瑞泉寺という小さな寺。


豊臣家の二代目を継ぎながら秀吉に実子が出来ると謀反の罪で切腹させられた悲劇の関白。
朝鮮出兵に意見したのが発端、または言いがかり、だという説もあるようだ。
享年28、切腹した翌月には一族の子女30余人が三条河原で公開処刑された。
当時の鴨川の河原は現在の河原町あたりまで広がっていて刑場は中州の荒れた河原だったらしい。
瑞泉寺の境内には秀次の墓石を囲むように30数名の若き女性や子供らの墓石がある。
   


秀次には若くして分別ある名君という評価とはうらはらに辻斬りや妊婦殺しなど残酷な男であると「殺生関白」という異名がある。
根拠に乏しく秀吉らによるねつ造ではないかとされている。
勝者により貶められた典型なのかもしれない。