2011/4/12 過敏な人

世の中には地震に過敏な人と鈍感な人がいる。
大騒ぎする人と平然としている人、と言ってもいい。
ちょっと前のツイートで知ったのだが、イギリスでM2.2の地震があり、
現地では大騒ぎ、タブロイド紙に「ブラックプール揺れる!」と見出しが躍った。
ツイートの主は、イギリス人世界最弱、と揶揄していた。
この数日の余震、この一つでもグレートブリテンを襲ったらパニック必至だろう。
でも、さすがに震度6強とか5強とかが毎日続くと平然としてはいられない。
仙台の叔母からも、余震が多いわ、疲れるね! とメールが届く。
動かざること山の如し、というくらいで大地というものはゆるぎないもののはず。
地震は根源的な恐怖で心身を蝕んでいく。


地震恐怖症の人を最初に知ったのは中学生の時だった。
1969年あたりだっただろうか。
愛知県の刈谷南中学校、僕らは木造の平屋建て校舎で生物の授業を受けていた。
生物の教師は野々山先生という中年のベテラン先生だった。
グラグラっと来た。
生徒らは防災訓練に習って机の下に隠れた。
恐かったけど意外に整然としていたように記憶する。
だが、先生は違った。
地震だあ、地震だあ、と叫びながら一人だけ窓から外へ飛び出していったのだ。
そして中庭で頭を抱えてうずくまってしまった。
僕らは呆気にとられた。
普段は泰然自若、モノに動じないタイプの人だったのでそのあわてっぷりには驚いた。
当然、その野々山事件は学校中に話題になった。
後日、ある別の先生が、野々山先生は昔地震で恐い思いをされたので、と弁護した。
なぜか、あの地震の時の木造教室と中庭の映像はクリアに思い出せる。
野々山先生の、地震だあ!地震だあ! の声とともに。


ベガルタ仙台のマルキーニョスが契約解除というニュースを知る
僕はその前日、東北のために頑張る、という彼のコメントをWEBで読んでいた。
マルキーニョスはいったんブラジルに帰国したが日本に戻ってきていたのだ。
実際に東日本大震災の被害を目の当たりにし精神的にショックを受けた、というのが理由。
ヒロと意地の悪い推測をする。
たぶん、当たっていると思う。
東北のために頑張る宣言をしたのが4月6日、退団発表が4月8日。
その間、4月7日に仙台で震度6強の大きな余震があった。
(僕が停車中のバスの中で体験したやつです)
マルキは3.11の本震も仙台で遭っている。
もう耐えられなかったんだろうな。
家族も心配するだろうし。
平時ならブラジルの治安の方が問題になりそうな…と思うのは日本人だけだろうか。


僕は神戸で震度7(1995.1.17)、仙台で震度6強(2011.4.7)を経験している。
どちらも比較的安全な場所であったのが幸いし生き残った。
神戸はたまたま耐寒訓練をしていた六甲山中のテントの中。
仙台は東京へ出発前、停車中のバスの中だった。
六甲山中は安全とは言えないかも。
500トンの大岩が落ちてきた場所もあったし、
人間の頭くらいの石がテントのすぐそばにゴロゴロ転がってきていた。
実際には神戸の震度7と仙台の震度6強(余震)とは全く別物、比べものにならない。
あの震度7は二度とゴメンだ。(震度6だって5だってゴメンだけど)
まさに大地の咆哮だった。
精神的ショックは数ヶ月続いた。
でも、まだどちらも自宅で体験していない。
恐いだろうなと思う。


…今日は終日オフ。
花粉防止ゴーグルに遠近両用レンズがセット出来たのでMIKIまでピックアップに行く。
自転車乗るときにもジョギングの時にも都合がいい。
夜、ヒロがバレーボールの練習に行く。
近所の回転寿司スシローで夕食、知らない間に注文がタッチパネルになっていて驚く。
8皿食べてしまう。


…『文楽のこころを語る』を再読。
住大夫師匠が「女殺油地獄」を語っている。
師匠は近松が好きではないらしい。
心中ものが苦手なのだそう。
でも、「嫌いな近松もので、私、賞をいただいてるんですわ」とのこと。
「女殺油地獄」は近松が初めて、おじいさんとおばあさんを登場させ、
愁嘆場をこしらえた作品なのだとか。
僕にはそれが少し退屈だったのだが、そう言えば…。
2月に国立劇場で見た『菅原伝授手習鑑』を思い出した。
住大夫師匠が「桜丸切腹の段」で三兄弟の父 白大夫と老母の悲哀を語った。
あれは名人芸だった。
咲大夫には悪いが、もし住大夫だったら…と思う。
豊島屋に順番に現れる老父と老母の長いくどきも泣き笑いさせてくれたかも。

文楽のこころを語る (文春文庫)

文楽のこころを語る (文春文庫)


それにしても僕は与兵衛は大嫌いだ。
思い出すたびにその思いが強くなる。
人を嫌いになることはそう多くはないのにこれは珍しい。
人妻で子持ちのお吉に、「不義になって貸してくだされ」と迫るところなぞ虫酸が走る。
現存する不滅のキャラクター、やっぱり江戸時代にもいたんだ。
三浦しをんは母性本能からだろうか少なからず魅力を感じているようだ。
僕が嫌いなのは、自分は何の努力をしなくても周りに与えられるものだと思い込んでいるところ。
人生は等価交換なのだ。(実際にはそうじゃないことも多いけど)


…単身、宮城へ乗りこんだセルジオが叔母さんのラウンジ『福家』へ行ったようだ。
以前は『ティアーモ』という国分町の店らしい名前だった。
『福家』とは叔母さんの父、僕の祖父がやっていたテーラーの名前なのだ。
すでに祖父も僕の父も亡くなり誰も継ぐ者がないから店の名前にしたのだそう。


セルジオからメールが届く。
盛り上がってるそうな。
カラオケで『これが青春だ』(布施明)を歌ったとある。
竜雷太主演の懐かしい青春ドラマの主題歌。
You-Tubeで聞いてみる。


  大きな空に 梯子(はしご)をかけて
  真っ赤な太陽 両手につかもう
  誇り一つを 胸にかかげて
  怖れ知らない これが若さだ
  そうとも これが青春だ


この過剰なまでの前向きさはどうだ。
これが1960年代の明るさか。
みんな貧乏だったけど働けば働くほど豊かになると信じられた時代。
未来は今より絶対に良くなると何の理由もなく信じていた時代。


ご当地ソングも歌っているようだ。
さとう宗幸『青葉城恋歌』、野路由紀子『広瀬川慕情』


  瀬音ゆかしき 杜の都
  あの人は もういない


歌詞に新たな哀しみが宿る。