2015/4/5 甲南落花図絵 

落花図絵@夙川オアシスロード
夜半の雨が止んだ。
静かな日曜日、夙川公園から芦屋浜陽光緑地へ。
雨の止み間にヴァン・モリスンを聴きながら7キロ走る。
花は晴れた日の人ごみで見るより色も気配も今朝の方が数段美しい。
六甲の中腹に山桜が点在する。
遠くから見るとぼんやりともった灯りのよう。
八重桜がつぼみを紅くして出番を待つ。
ユリカモメも顔黒の夏羽となり北への旅立ちに備えている。


狩野派の金屏風のようでもある。
写っている老人は最初左へ通り過ぎたのだがすぐに戻って進路を変えた。
落花の小径が歩きたくなったのだ。
   


梶井基次郎という小説家がいる。
名前は知っていいるが実は読んだことがない。
檸檬(書けない)、京都、丸善、爆弾、そして桜。
断片として知るのみ。
満開の桜の下には屍体が埋まっていると書いた。
そして、三十一歳で若死にした。


   桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!
   これは信じていいことなんだよ。
   何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。
   俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。
   しかしいま、やっとわかる時が来た。
   桜の樹の下には屍体が埋まっている。
   これは信じていいことだ。


               (梶井基次郎「桜の樹の下には」より)


満開の桜の激しいまでの美しさは死から見た生の風景。
そうか、確かに季節の1シーンとしては異様なまでの風景だものね。
去年の日記に引用した茨木のり子の詩もそう言えば…生と死の視点から書かれていた。


   さくらふぶきの下を ふららと歩けば
   一瞬
   名僧のごとくにわかるのです
   死こそ常態
   生はいとしき蜃気楼と


               (茨木のり子「さくら」より)

 

干支を5周もしてしまう年齢になるとあと何回くらい見られるのか、という問いが切実に思えてくる。
だからかだろうか。
やたらと心ひかれてやたらとデジタルカメラに写し取る。
未練がましいったらありゃしない。


   


   


   


   


   


   


   


   

 

…走り終えてシャワー、体重は69.85キロ。
朝から(昼前だが)、ランプステーキを食べる。
出ようとするとアスファルトを叩きつけるような強い雨。
さくら夙川駅まで大きなビニール傘をさして歩く。
出社して今週編集する素材をプレビューする。
自分で取材したものではない。
これで3分つながるのだろうか、ちょっと不安になる。


夜は天満独酌。
不安は少々の酒で消す。
「肴や」で生ビールとギネス小とハーフ小、となぜかビールで通す。
行きは雨で歩きでさくら夙川駅から乗ったので帰りもさくら夙川駅。
雨も上がったし夜桜を見ながら帰る。

  


途中でヒロが迎えに来てくれる。
毎年恒例の夜桜見物。
こいぬも3匹ついてきた。
  
  


季節の主役は花から若葉へと変わる。