2015/3/11 あのときのつぶやき

4年目…だが、個人的にきょうはそれではなかった。
一ヶ月ほど前にヒロが大腸がんの検診にひっかかった。
女性に多いがんだし、彼女は乳がんも経験しているし、

五十半ばでもあるし、内視鏡検査を薦めた。
最初は拒否してたが数日すると自分で近所のクリニックを予約してきた。
たまたま今日3.11が検査日だった。
予約してから乳がんがわかったのは2011年、手術が11月11日だったよなあ、
なんて話したあとでちょっと不安になっていたのだ。
検査を受けるクリニックはセブンイレブンが入っている建物だし。


朝から何も食べずに腸内洗浄剤を飲み続ける。
僕は5年前に3回経験している。
僕の時はムーベンと命名された洗浄剤だったが、今は洗練されてもっと少量でいい。
味の素が作っている。
検査そのものも当時よりかなり改善されているらしい。
最初の時、僕はかなり苦しんだ。
でも、彼女はそうでもないようだ。
飲み始めて1時間ほどで出すものを出して準備完了。
昼イチで検査に行く。
えばらクリニックまで自転車で15分ほど。
今日は寒いが晴れている。
走ってついていく。
検査に鎮静剤を使うので帰りは自転車に乗れないそうで自転車は僕が乗って帰る。
タクシーで行けばいいのに、と思ったが無駄遣いだと言う。
帰宅して待機。


2時間後、電話が入る。
検査終了。
直腸周辺に赤くなってる部分はあるが大腸がんもポリープも無いとのこと。
何のために生体をとって検査するとのこと。
一安心。
彼女はそのままスーパーに寄るという。
自転車で合流し荷物運びする。


アベシンゾーの顔を見たくないのでテレビは見ない。
その日の前後、Twitterで何をつぶやいていたか?がわかるサービスがある。


     


震災前のつぶやきは何のことかよくわからない。
薬師寺の五重塔のことだろうと推測するが何がきっかけでつぶやいたのか?
震災の日はスポーツニュースのデスクだった。
明石で楽天主催のオープン戦があって試合は震災で8回で中止になった。
その後、チームは芦屋の宿舎に足止めになり、それからしばらく仙台に帰らなかったのだ。
取材に来ていた仙台の局のクルーは大阪で津波の生中継を呆然として見ていた。


日記によると10日は奇しくもフェイスブックの発案者ザッカーバーグの
映画「ソーシャル・ネットワーク」を見ている。
それしても震災直後もずっとTwitterはパンクせずに機能していた。
きょう読んだ記事によるとアメリカの当日の担当スタッフが
機転をきかせてサーバーを切り替え増設したとか。
Twitterで情報を得て助かった人も多かっただろう。
本当ならば彼のファインプレーだと思う。


    


連絡が途絶えていた叔母とは翌々日に連絡がとれた。
近くの小学校に避難していたらしい。
こうして当時のTwitterを見るだけでいろんなことを思い出す。
窓際で咲き始めたヒヤシンス、長谷川きよしのコンサート、尼崎で見た文楽のこと、その会場で義援金を集めていたこと、
梅田で見た「愛と青春の宝塚」という舞台のこと、入場行進のなかったセンバツのこと、春夏を通じてはじめて生で見た開会式、
プロ野球の開幕でセリーグとパリーグが対立したこと、佐々木さんから届いたメールのこと…。


ヒロが検査を終えて一安心すると急に眠くなる。
五十代をこえてからたまに襲われる暴力的な睡魔。
天気もいいので走ろうと思ったが…意志が睡魔にねじ伏せられる。
そういえばこのブログの主も還暦過ぎではなかったか。
ユーモアたっぷりの名文で楽しませてくれる。
http://blog.livedoor.jp/nor_sasaki/archives/51875437.html


睡魔には抗えない。
しばし、ソファで横になる。


四十代後半の方々、もうすぐですよ。
もうすぐやってきますよ。


…金村修さんというカメラマンがいる。
僕は知らなかった。
土門拳賞を受賞してるらしい。
ある方がシェアされてた記事で知る。
この人がまだ日本カメラの批評してたら今から立ち読みに行きたい。
ナンシー関の「記憶スケッチアカデミー」以来かも。
凡庸な形容を多用した毒のないコメントやホメホメワールドに一撃を!
http://garakuta-clip.com/post-1323/


夜はカレーうどんを食べる。
テレビ大阪のゆるい旅番組を見ながらまた居眠りする。
今日も飲まず。
3月はすでに6勝。