2012/3/11 あれは本物だったのか?

去年の3月11日、僕はデジカメで2枚の写真を撮った。
一枚は午前11時05分、まだ出勤前で自宅の部屋の窓辺で咲いたヒヤシンスの花を撮っている。
二枚目は出勤して4時間半ほど経った夕方5時40分、局のフロアで撮った写真。
モニターは全局 L字画面で日本地図の沿岸部に大津波警報を示す赤い部分が点滅したままだ。
ちょうど3時間ほど前に起きた地震の映像や、家や車を飲み込む津波をとらえた空撮や、
白煙を上げる原子力発電所や、防災服に身を包んだ内閣官房長官の姿が映しだされている。
http://f.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110311174219
画面を呆然と見つめる手前の二人はたまたま出張に来ていた仙台の系列局のディレクターだ。
明石球場での楽天・ロッテのオープン戦の取材中に地震が起きた。
試合は8回ウラで中止となり、彼らは楽天の選手や監督の反応を取材して局へ戻ってきた。
彼らの局は仙台の宮城野区にあり、すぐそこまで海が迫っていた。
ここに写っていないカメラマンの家は若林区にあり自宅近くの橋が津波に飲まれるのを見た。
ニュースデスクだった僕は楽天ナインのコメントを取るべく宿舎にカメラクルーを出した。
その日は夜まであっという間に時間が過ぎていった。


この日から数ヶ月は関西に住む僕のような人間にとっても怒濤のような日々だった。
朝考えたことが、昼に入った情報で覆り、夕べに心沈み、夜にまた再び熱く興奮する。
Twitterには安否を尋ねる切迫したツイートが知らない人たちによって

リツイートされ拡散していった。
同時にわけがわからない正論ばかりの自己主張や自己嫌悪や

バッシングやデマも世界にばらまかれた。
当時の日記に僕は、冷静になれ、こんなのは集団熱病だ、日常に戻ろう、と繰り返し書いている。
あのころはよく涙をこぼした。
音楽を聴いては泣き、芝居を観ては泣き、ブログを読んでは泣き、高校野球が始まっては泣いた。
確かに一種の自己陶酔(ヒステリー)だったのかもしれない。
日常に戻ってから考えよう、そう思っていた。


でも、1年後の今日を迎えて、自分の撮った写真を見て思うことがある。
あのとき感じたことは本物なのではないか、と。
熱病のように浮かれて考えていたことをいま日記を読み返しても決して間違ってはいないと思う。
ただ自分には何も実行出来ないと自らに言い訳し抑制していただけなのかも、と。
半年が経ち、1年が経ち、いつのまにか当時の思いは霧消してしまった。
これって…。


池澤夏樹『春を恨んだりしない』にこんな一文があった。

 

    あの時に感じたことが本物である。

    風化したあとの今の印象でものをかんがえてはいけない。 
                                                                                          366日という時間が流れたからと行って心を渇かせていいものではない。

あのとき、僕は何を感じていたか、何がしかたったのか。
1年後の今日、テレビや新聞やネットから膨大な情報があふれ出た。
それらを自分なりに整理したり分析したりすべきなのだろう。
でも、脳みそからオーバーフローして、もうどうでもいいや、とギブアップした。
3.11というメモリアルを迎えるにあたり思う。
もういちど、あのときに感じたことをトレースしてみよう。
1年前に書いたことを今の日記に貼りつけて追体験してみよう。
それくらいは出来るだろう。
1年後の今も同じ思いなら、それは本物だろう。


震災について書かれた体験談やブログを読むたびに語られる風景がある。
『星空のワルツ』のような風景だ。


   遠くで祈ろうしあわせを 遠くで祈ろうしあわせを
   今夜も星が降るようだ


あの日、地震が来て津波が来て雪が降った。
そして、雪を降らせた雲は東へ去り、空から星が降った。

 


<span class="deco" style="color:#990000;font-size:large;">《BACK TO 2011》</span>
2011/3/11 『3.11 昨日と違う今日』
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110312/1299857258
ヒヤシンスの花の写真と二行のコメントのみ。
すでに3.11なんて記号化している自分が恥ずかしい。