2015/3/8 立往生

8時なら目覚ましかけなくても起きられるだろ、とタカをくくっていたら…気づけば9時半。
きょうは日曜日、寝坊したせいで全ての行動が後ろに2時間ほどシフトする。
とはいえ何かをしなければいけない日ではない。
出来れば、神戸で「リスボンに誘われて」を見にいけたらいいなあと思っていた。
あるいは出社して淀川を1時間ほどジョギングして、千林の神徳温泉へ行って、

丹倉で少しだけ独酌して、夜に会社に戻り雑事を済ませる。
結果、そのどちらも出来なかった。


今日は雨は降っていない。
3月は雨が多いので晴れると嬉しい。
計画変更。
天満へ出て、宝くじでも買って、バーゲンのハガキが来ていた

自家焙煎タイムリーでヒロがご所望のヌアラエリアという茶葉を買い、
出社して、用事を済ませ、大阪城公園を走って梅の咲き具合でも見てこよう。
計画通り天満へ出た。
賑わう天神橋商店街を北上し、おそらく10年ぶりくらいに宝くじを連番で5枚買う。
100万当たったらヒロにも言わずにへそくりしよう。
1000万以上当たったらヒロに半分渡してハスラー4WDを買って

3年分の駐車場代を前払いしよう。
1億円以上当たったら……困る。
タイムリーで茶葉とエチオピアを300グラム買う。
さて、と…。


気がつけば気力がない。
胃の調子が悪いのか…。
元気が出ない。
走る用意はしているがとても走る気になれない。
気がつけば歩道に立ちすくんでいた。
何もしてないのに疲れている。
自分は何をしているのか?
悪い夢から目覚めたような気分で人ごみの中、立ちすくむ。


山田太一がエッセイに書いていたことを思い出す。


   六十代に入って私は何度か町なかで立往生することがあった。
   突然、ズシリと重い疲労に襲われる。歩けなくなる。

        
                  山田太一「六十代」より


発見 (幻冬舎文庫)

発見 (幻冬舎文庫)


高橋新吉の「無意味」という詩に触れて短いながら読み応えがある一編だったが、この一文が妙に残っている。
3年前、このエッセイの話を日記に書いたとき、風人さんからコメントをもらった。
「六十代の話、よく分ります。小生はまもなく六十九歳です。」
僕は55歳だった。
「5年後を想像すると…」 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20121113/1352765280

 天六、中崎町界わいをしばし彷徨う。

「このみ」が閉店して他の店が開店準備をしている。
ご主人の健康上の理由で閉店、したそうだ。
シェフであるご主人も奥さんも感じのいい人だった。
あの辛旨いインディアンピラフやアスパラの温玉サラダやキャベトンがもう食べられないのか。


小一時間ほど彷徨ったあげく出社する。
デスクに坐ってあれこれしてるうちに気力が甦る。
走るまでには至らない。
雑事、打合せ、明日の作業チェックなどなど。


夜は食べなかった。
空腹だと体調がいい。
食べてしばらくは調子が悪い。
そんなパターンがあるようだ。
プチ断食して胃を休ませるべきかも。