2015/2/3 ふたりの蔦監督

きょうはこの映画を撮った蔦監督に会いました。
あの池田高校の蔦文也監督のお孫さんです。
監督は三十歳です。
僕が三十歳の時、何を考えて何がしたくて何になりたかったか…? しばし、遠くを見てしまいました。


   


蔦監督の孫 蔦哲一郎さんは野球ではなく映画監督になった。
中学高校時代は野球はせずサッカー少年だった。
東京で映画を勉強しながら早稲田松竹でアルバイトし自主制作の映画を撮り続けた。
故郷の池田町に近い四国の秘境を舞台に3年かけて映画を作った。
「祖谷物語 〜おくのひと〜」 http://iyamonogatari.jp/


もの静かな好青年でした。
いま、劇場公開作品の第2作として祖父文也のドキュメンタリー映画を撮っている。
https://www.makuake.com/project/tsuta/
          <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/NTPMIoOvin0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


O氏は蔦監督の全盛期と引退時にテレビでドキュメンタリーのスタッフだった。
その縁で監督と懇意になり1984年の暮れから85年の新年にかけて欧州旅行をした。
スイス、イタリア、ドイツ、オーストリアを2週間ほどかけて回った。
ガイド役として僕が同行した。
VHSのビデオカメラで撮ったテープが残っている。
3分くらいに編集したものもある。
音楽に合わせて仕事の合間に作った。
今でいうビデオクリップ。
30年前なので当然パソコン(iMac)もなくプロダクションの編集機を借りた。
僕はまだ28歳で、今の蔦哲一郎監督と同じくらい。


その映像を見た蔦監督は、音楽がええなあ、と言ってくれた。
孫の蔦監督も、いいですねえ、と興味深そうに持って見てくれた。
厳冬のベルリンの壁沿いを歩く蔦文也の映像なんて誰も見たことがないだろう。
真夏の甲子園、超満員のスタンドの注目を浴びて指揮をとる映像とのコントラスト。
   


ビデオの映像は荒れてキレイではないし、テレビ番組の感覚ではあの映像をどう使うのかはわからない。
映画の世界ならうまく馴染むのかもしれない。


今日は昼にO氏らとランチの予定なので朝は軽めに。
   


ランチはO氏と元エキスのF氏と3人で西天満「すずめ」で下関名物瓦そばと焼鯖寿司をいただきました。
   


昼過ぎから蔦哲一郎監督とビデオを見る。
いったん、局へ出て雑用を済ませてから大阪城公園を走る。
ミニ番組のナレーション録りを済ませ北新地で会食しているO氏と蔦監督らと合流。
O氏も還暦を迎えた。
蔦さんの孫と思い出を語れるのがすごく楽しそうだ。


実は今日の昼過ぎ、蔦監督の祖母(文也監督の奥様)の訃報が入り、急きょ池田へ戻った。
脳卒中で倒れてしばらく延命措置をしていたらしい。


新地の「うのあん」という店で飲み、一人で銀座屋でビールを一本飲む。
自主制作で、自分で撮って、自分で編集して、作品を作るのは楽しい。
いまの時代なら一人でも出来る。
やってみようかな。


節分でした。
我が家の鬼役は…。
   


ことしも鬼は てん。