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2011/5/29 颱風ごもり

台風2号が迫りつつある日曜日、自堕落を決め込んで過ごす。
阪神地方に大雨洪水警報が出たのが9時45分、まだ起きたばかり。
昨日の日記を書いていたら風が強くなり窓をガタガタと揺らす。
腹が減ったので近所のハヤシ商店へたこ焼きを買いに出る。
vsヤンキース@シアトルを見ながらゴロゴロと横になって過ごす。
18時に暴風警報(!)が出るが夜22時過ぎに解除。


…一昨日、ええいっと思い切って買ったDVDが到着する。
『闘う三味線 人間国宝に挑む 鶴澤清治』、amazonの中古でも5200円した。

闘う三味線 人間国宝に挑む ~鶴澤清治~ [DVD]

闘う三味線 人間国宝に挑む ~鶴澤清治~ [DVD]


ちょっとだけ見てみようとドキュメンタリー部分を見始めたらとまらない。全部見てしまった。
2007年、孤高の三味線弾き鶴澤清治(当時62)が人間国宝 竹本住大夫(当時83)に、
一夜限りの素浄瑠璃で挑む。演目は住大夫が16年間封印してきた「阿古屋琴責の段」。
この設定だけ聞いてもドキドキするではないか。
冒頭で二人が文楽の価値観をぶつけ合う。
住大夫「何もかも経験して60、70になって苔が生えてくるんですよ。
    僕らの芸は歳いってからが勝負や」
清治 「歳とったらどんな名人の人でも切っ先無くなりますからね。
   それはそれなりに枯れた芸だからと誉めてるお客さんもいますけど、
   僕はそんなもんは必要ないと思いますけどね。枯れたら辞めるべきです。」
二人の発言、真に意味するところ別にあり、単純な対立ではない。
でも、あえてディレクターが対立を煽ったこの導入部は緊張感に溢れている。


なぜに鶴澤清治が「闘う三味線」と呼ばれるのか、「浄瑠璃の鬼」竹本住大夫の真髄とは、
住大夫さんが番組スタッフに言う。
「芸いうものはあなたたちが考えてるもんとは違うねん。悪いけど。」
大夫と三味線の命を削るような真剣勝負、画面が緊張感に満ち、ぐったりと疲れた。
ドキュメント89分、舞台記録と合わせて233分の見応えある2枚組。
古いフィルムで往年の名人たちを見られたのも勉強になった。
もういちど見て感想を書きたい。


文楽の三味線は組む大夫に演目が左右される。
家に嫁ぐ嫁にような関係だ。
三味線弾きは主人として家を構えることはない。
切り場(クライマックス、重要な段)を弾くには切り場語りの大夫と組まなければならない。
切り場を許された大夫は5人ほどしかいない。
鶴澤清治は31歳の若さで人間国宝 竹本越路大夫の相方を13年間勤めた。
それゆえ現在、その技量にふさわしい大夫と組むことがない。
切り場語りの大夫は当然ベテランですでに長く組む相方が決まっているからだ。
たいていの大夫は自分より年下の三味線と組むことが多い。
住大夫と野澤錦糸、咲大夫と燕三、源大夫と藤蔵(父子)…。(津駒大夫と𥶡治 これは逆)
ゆえに人間国宝でありながら若い大夫と組んで端場(はば 導入部)を弾くことが多い。
文楽の世界、そういうものであるらしい。
ベテランの大夫が若い三味線を育て、その逆もあり。
鶴澤清治も越路大夫に育てられてきたのだ。


実はまだ鶴澤清治を生で見たことがない。
7月の文楽劇場、『絵本太功記』で見ることが出来る。


…佐藤友哉『デンデラ』(新潮文庫)を読了。
老婆集団vs凶暴な人喰い羆、んなバカな、という設定だが楽しませてもらいました。
物語の裏に潜む現代社会への問題提起 や純文学的な人間の持つ性(さが)暴きは、
よーくわかるが、船戸与一じゃないが、そんなことはどーでもいい、のだ。
婆さんのアンビリバボーなハードボイルド冒険小説だと思って読めばいい。
屋敷の天井の梁に90歳の婆さんたちが何人も木槍をもって潜んでいる。
ヒグマをおびき寄せると槍を持った婆さんが天井から降ってくるのだ。
んなバカなですが…。
巻末の解説、冒頭にこうある。

  五十人の老婆が羆と戦い、どんどん死んでいく話である。(法月綸太郎)

帯に映画化とある。
こんなん映画化出来ないよと読み始めてすぐに思った。
浅丘ルリ子、倍賞美津子、草笛光子らが出演、予告編がYou-Tubeにあった。
原作の世界とはほど遠いような、映画にしなくてもいいのに…。
http://www.youtube.com/watch?v=k-JVnAsBRm4


ただ羆もの小説としての恐ろしさでいえば吉村昭『羆嵐(くまあらし)』のリアルさや、
増田俊也『シャトゥーン ヒグマの森』のたたみかけるようなストーリーテリングには及ばない。
この2作は都会のマンションにいても羆の影に怯えるほど恐かった。

羆嵐 (新潮文庫)

羆嵐 (新潮文庫)


シャトゥーン―ヒグマの森

シャトゥーン―ヒグマの森


『デンデラ』で一点、僕が恐かったのは登場人物の名前だった。

主人公が斉藤カユ、デンデラの長が三ツ屋メイ、主要人物にマクラ、ノコビ、ホノ、コテイ、
イツル、ナキ、マカ、アテ…無国籍な不思議なネーミング、寓話なのだが気味が悪い。
加えて言葉使いも標準語で決してリアリズムではない。どこかSF小説のようだ。
解説の法月綸太郎がこう解き明かしていた。


 その会話や行動様式も、自然主義的なリアリズムが要請する水準からかけ離れている。
 そのちぐはぐな言動は、寓話的というより、学園物のライトノベルに出てくるような
 美少女キャラクターのふるまいに似ている。
 作者もそれを隠そうとしていない。
 冒頭に掲げられた50名の登場人物表(女子校のクラス名簿や、AKB48のような
 アイドル集団を思わせる)は、そうして態度を明示するものだろう。

      
だから映画の予告編を見て台詞が東北弁(イメージとしての)なのは中途半端。
どこかの別の星の物語にすべきだったのかも。
見るつもりはないけど、予告編を見る限りトホホ映画だと思う。         


…朝、体重が75.05キロだった。
いっきに1キロ近く増えている。