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2013/5/24 Daytrip View 小豆島 岬の分教場

三太郎でうどんを食べて、金両醤油でお土産を買って、午後は岬へ向かう。
岬の分教場は「二十四の瞳」の舞台となったところだ。
適度なアップダウンのある海沿いの道は小豆島ツーリングのハイライトだ。
本当に気持ち良かったです。


こんな海岸線のアウトラインをトレースする島一周も辛くない。
いや、風はそよ風、海も山も美しく、最高の時間だった。

  


映画では女学校を出たばかりの大石先生(おなご先生)が自転車で通勤する。
当時はもちろん未舗装、1時間以上の道のりだった。
「こんどのおなご先生は洋服着て自転車に乗ってモダンガールやのう」
http://www.youtube.com/watch?v=i498bkIwEcI
  


映画はモノクロだけど実際の海は天然色です。
  


ボンネットバスの停車場、醤油作りの杉樽が待合ベンチになっている。
  


岬の分教場からさらに600mほど先に「二十四の瞳 映画村」がある。
映画村の前に渡し船の桟橋がある。
今も映画村の前の売店から電話すれば渡し船が来てくれるそうだ。
子供たちのいたずらで脚をケガした大石先生は渡し船でやってくるのだ。
  


僕が日本映画史上もっとも美しいと思うシーン。
この桜の林も小豆島にある城山公園だ。
坂手から土庄へ行く途中にある。
いつか桜の季節に行きたい。
  


『二十四の瞳』のデジタルリマスター版を2007年に劇場のモーニングショーで見た。
その日の日記をコピペします。


   木下恵介監督「二十四の瞳」(昭和29年)のデジタルリマスター版、
   セルジオを誘ってオッサン二人でモーニングショーです。
   劇場に入ると客層が面白い。
   60代〜70代の夫婦連れとおばちゃんグループ、ちらほらと30代の映画マニア。
   僕ら50代はここでは若手に属するようだ。


   2時間強の長い映画。
   とにかく僕は画面に映し出される風景に釘付け、
   今では決して見られない貴重な民族資料館的な映画です。
   「歌」の映画でもある。
   次から次へと休むことなく歌が流れる。
   「仰げば尊し」「村の鍛冶屋」「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」
   「おぼろ月夜」「庭の千草」「蛍の光」他にもいっぱい。


   有名な大石先生(高峰秀子)と子供達が満開の桜の下で機関車ごっこをするシーンでは、
   「ちょうちょ」として僕らが知っているメロディーで、


   ♪汽車ははしる けむりをはいて しゅしゅしゅ しゅしゅしゅ
    しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅ
    トンネルぬけて てっきょう渡り
    汽車ははしる しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅ


    と歌う。


    劇場ではジジババの鼻をすする音があちこちで聞こえる。
    懐かしい時代の歌と、悲劇的になってくる物語。
    涙腺がゆるくなったジジババにはたまらないだろう。
    かくいう僕もクライマックスの同窓会のシーンでは涙がこぼれた。
    あの安西水丸もこの映画では涙が止まらなかったと書いている。


    ラストは雨の中、
    年老いた大石先生が合羽を着て自転車で行くシーンに“仰げば尊し”が流れる。
    そして、人生は続く、である。


   


    映画は昭和3年から昭和21年を描く。
    大石先生の教えた岬の分教場の子供達は大正生まれ、
    戦争が始まった昭和16年頃には成人を迎える。
    この100年では一番ハズレくじをひいた人々だ。
    男は戦死、女の多くは未亡人になったり、あるいは結婚しなかった世代だ。


    また、戦争反対=アカ=犯罪者 という時代だった。
    今では当たり前のように「戦争には反対です」と言えるが、
    当時、反対と言えばアカだと言われ逮捕、投獄、拷問だった。
    アカだと言われたくなければ、戦争で死ぬのは本望です、子供が死んでも名誉です と言わねばならない。
    大石先生は、教え子を殺したくない と言いアカと呼ばれる。
    この日、映画を観ていた70代の人たちはそんな時代を生きてきたのだ。


    <iframe width="640" height="380" src="http://www.youtube.com/embed/pWMgur5te8M" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


    大石先生は今ならダメ教師だ。
    青春ドラマに出てくる村野武則や中村雅俊、あるいは金八先生のように自分から行動して道を切り拓く熱血先生ではない。
    優秀なのに家が貧乏で中学へ進学できない子供の親を説得しようとして、
    逆に親にまくしたてられ、私どう言ったらいいかわからないわ、と俯いてしまう。
    挙げ句の果てに 教師なんてやめてしまおうかと思うの と本当に辞めてしまうのだ。
    イノセント(無垢)でトロくて美人のダメ先生なのだ。
    でも、そういうスーパー先生じゃないとこが庶民感覚で受けるたのかも。
    時代に流される無力な庶民、でも戦争には疑問を持ってる…。


    子役が成長していく。
    兄弟姉妹をオーディションで集めたらしく、
    すごくよく似ている、あっぱれである。
    ハリウッド映画で あんなに似た子役をよく見つけたなあ と驚くが、
    日本映画も黄金時代はこのくらいはやっていたのだ。

 

    大石先生の夫役(戦死する)は何と天本英世だ。
    クレジットには(俳優座研究生)となっている。
    死神博士やスペインの放浪役者の若き日である。


    高峰秀子は自伝「わたしの渡世日記」で、
    木下監督から「こんどの映画は“二十四の瞳”と言うんだ」と知らされ、
    まあ、気味が悪い、二十四も瞳があるなんて 怪奇映画かしら と思ったそうな。

 

映画村にある分教場は1987年版(田中裕子主演)のロケセットらしい。
  


教室の椅子に座ってみた。
驚くほど小さい。
当たり前か。
「二十四の瞳」は松下奈緒主演で今年またリメイクするらしい。
  


「八日目の蝉」(未見)という映画も小豆島を舞台としているらしい。
生まれたばかりの赤ん坊を誘拐した愛人(永作博美)の逃亡先が小豆島だった。
思えば俳人尾崎放哉(ほうさい)が流浪の末にたどりつき晩年を過ごしたのもこの島だった。
次は放哉ゆかりの地を訪ねたい。
晩秋がいいかもしれない。
 
 

団体客がいなかったせいか映画村はしずかで気持ちいい空間だった。
何よりもロケーションが最高だ。
  


映画村より手前にある本物の分教場。
1954年版の撮影はこちらで行われた。
セットではなく実際に当時使われていた校舎だ。
案内のおばちゃんが大石先生が顔を覗かせていた窓だと教えてくれた。
 
  

  


映画村では毎日ずっと1954年版の『二十四の瞳』を上映している。
その気になれば2時間強の全編をスクリーンで見ることが出来るのだ。
いつかまた、と思う。

 

…この日、撮った写真をモノクロにしてみました。
(ちょっとピンぼけだけど)
いつの時代の写真かわからない。
   


   海の色も、山の姿も、そっくりそのまま昨日につづく今日であった。
   しかし八年の歳月は住む人と取り巻く社会を大きく変えた。
   日華事変が起こり、日独伊防共協定が締結され、国民精神総動員の運動が生活を監視した。
   戦争がすべてを支配した。                    

           
                              (壺井栄「二十四の瞳」より)


こんな島の風景を撮りながら、この小説や映画に流れた八年という歳月を思う。