2012/5/11 朝洛夕浪

気の利いたタイトルが思い浮かばず“朝洛夕浪”としました。
そのこころは、出勤前の午前中に京都観光して、午後から大阪で働きました、ということ。
洛は京都、浪は浪花のつもりです。(つっこまないで下さいね)


東山、臨済宗建仁寺、渡り廊下の正面。
花道の揚げ幕がチリンとなって開いたように、
それは忽然と、そして凛として正対していた。
書 に関して第三者に言葉で伝えうる価値基準を僕は持っていない。
しかし、感じ入る何かは絶対的に存在する。
三つの文字が数メートル先から発する気を、全身で受け止めた。 


   
                        書 金澤翔子(小蘭) 


花見小路の突き当たり、禅寺の門をくぐり境内に入る。
拝観料500円を払ってお堂に上がると、すぐに金屏風の神様が目に飛び込む。
俵屋宗達 画『風神雷神図屏風』(国宝 1600年代)
ただし高精度デジタル複製だ。
   


京都へ来る電車の中、iPhoneで読んだブログに偶然にも雷神図のことが書いてあった。
「もしドラ」を書いた岩崎夏海さんの『ハックルベリーに会いに行く』というダイアリーだ。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120510/1336634392#tb
岩崎氏は年間200回以上講演をしていて、講演後に質疑応答をするという。
若者の質問のなかにはどこか切羽詰まったものも少なくないらしい。
その手の質問に答えているうちに岩崎氏は「神話の役割」が気がつく。


   そうしたぼくが最後に辿り着いた方策というのは、
   ポジティブでもネガティブでもない、どちらの価値をも含有した、

ある種の両義的な「物語」を提示して、
   その物語の中に、彼ら自身が本当は気づいている厳しい真実というものを、
   自分自身で見出してもらうような形にするのが一番いいということだった。


   そして、さらにそこでハッと気づかされたのは、それは「神話の役割そのものではないか」ということだった。


どういうことだろう?
読み進めて納得した。
マッチョなのか、貧相なのかよくわからない雷神さまのユーモラスな姿に親しみが沸くようになった。
先日猛威をふるった茨城の竜巻は風神さまの仕業だったのだ。


     


岩崎氏はこう解説している。


   喩えて言うと、切羽詰まった質問者というのは、「雷に怯える子供」のようなものなのである。
   正体不明の現象を前にして、どうしてよいか分からず、ただ泣き叫ぶしかない状態。心が落ち着かず、困っている。


   そんな彼らに対して、心を落ち着かせる最良の手段こそが、神話を説いて聞かせることなのである。
   すなわち、「雲の上には『雷さま』というものがいて、(雷さまの姿形を説明しながら)彼らが今、
   太鼓を叩いて雷を落としているのだ」と説明してやるのだ。


   そうすると、それまでただ泣き叫ぶしかなかった子供たちは、落ち着きを取り戻すのである。
   雷への畏怖心は抱いたままであるが、泣き叫ぶほどの混乱からは、とりあえず回復する。
   雷の正体や風体が物語やビジュアルとして分かったことで、
   未知なるものへ抱いていた際限のない恐怖というのが取り払われ、それへの距離感を計れるようになるのである。


   (中略)


  ところが、現代においてはこの「雷さま」という神話が失われ、代わりに「科学的な説明」がなされるようになった。
  それによって、子供たちが泣き叫ぶこともなくなったが、もう一つの機能である
  「本質的には不条理であるこの世界に親近感を抱いたり、それによって孤独が癒される」という機能はすっかり失われてしまった。
  雷を、気象的な、あるいは物理的な現象として説明することで、それを聞いた子供たちは、
  神話というパッチを通じて世界と融和するチャンスを逸し、その結果、不条理なものに親近感を抱いたり、
  それによって孤独を癒すチャンスさえ一緒に失ってしまったのだ。


自然への畏怖、不条理なモノへの親近感。
水木しげるの妖怪みたいなものだろう。
『もしドラ』は読んでないが岩崎夏海という人をちょっと見直してしまった。
(見くびっていたわけではありませんよ。ただ爆発的に売れているので敬遠してただけです。)
この解説を読んでおいたおかげで俵屋宗達の屏風絵を見ながらいろいろと想像を巡らせた。


建仁寺へ行きたいと思ったのは法堂の『双龍図』を見ようと思い立ったからだ。
小泉淳という絵師が21世紀になって完成させた天井画だ。
高校生の時、京都を初めて一人で旅した。
きっかけは忘れてしまったが同じ臨済宗の妙心寺という大きなお寺を訪れた。
お堂の天井に巨大な龍の絵が描かれていた。
僕は魅せられ、その後も二度三度と龍の絵に会いに行った。
   

妙心寺の龍は迫力があって怖かったという記憶がある。
建仁寺の二匹の龍は風神雷神と同様、どこかユーモラスだ。
幸い空いていて修学旅行生も中国人旅行者の団体もいなかった。
法堂には僕一人、双龍に睨まれる幸福な時間だった。


(参考リンク)
http://www.rinnou.net/exhibition/ex_06.html
臨済宗のお寺の法堂には龍の天井画が描かれる。
龍神は雨を降らす神さまでお堂を火災から守るという意味がこめられている。


禅宗のお寺は華やなさはないが庭と水墨画や屏風絵が素晴らしい。
南禅寺、竜安寺、妙心寺、東福寺、天竜寺…。
京の禅寺めぐりというコンセプトもありだなと思う。
   


書家 金澤翔子さんの展覧会が開かれていた。
昨日、眼鏡堂さんがここ建仁寺を訪れ、書の展示があることは知っていた。
展示期間中にぜひ行って下さい!
眼鏡堂氏は語気を強めた。


冒頭の写真にあるように「希望光(きぼうのひかり)」が圧倒的な存在感で出迎えてくれた。
展示場となっている和室に大きな書が十点ほどある。
一番奥、上座にこの「飛翔」が鎮座していた。
   


すべて金澤翔子の筆。
大河ドラマ『平清盛』の題字を書いた書家だ。
      


驚いたのは受付に金澤翔子本人がちんまりと座っていたこと。
前夜、眼鏡堂さんが「ふふふ、予備知識なしで見て下さい。」と言ってたのを思い出した。


ダウン症の天才書道家として新聞やテレビなどメディアで紹介されているらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=dtEOwfHMelk
http://www.youtube.com/watch?v=HH7trpq85xU
恥ずかしながら僕は知らなかった。
図録を買うとサインしてくれるという。
ボールペンで翔子、と書いてもらう。
握手してもらおうと手を差し出したらちょっと驚かせてしまった。

 

雅号は「小欄」という。
小欄。
目の前にいるこんな小さな女性が、ほとばしる筆で力感溢れる文字をかいたのだ。
「鳥飛魚躍」「柳緑花紅」、そして「千字文」の衝撃。
感動してしまった。

   


もとより書に対する審美眼は無い。
それでも、金澤翔子さんの作品には圧倒される。
背筋がしゃんとする。
ふらふらしてると弾き飛ばされそうな気を発している。
なんだ?
なんだ、この力は?


独酌、って書いてもらえませんか。
ほとばしる筆づかい「独酌」の二文字を僕は頭の中でイメージした。
いいなあ。
もちろん、そんなこと言いませんでしたよ。


   <iframe width="580" height="380" src="http://www.youtube.com/embed/1dBLVrfCwGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 

 

 

緑萌ゆる鴨川べり。
祇園の暴走事件現場を発生以後はじめて通過した。
おそるおそる。
   


お昼は祇園の京風中華『盛京亭』でスペシャルランチ。
ちょっとビール飲んじゃったりしたりなんかして。
近くのテーブルに坐った母娘の二人連れ。
「なあ、聞いてる? お母ちゃん」と30代くらいの娘さん。
見ればはっとするほどの美形。
飾らない関西弁(たぶん京都弁)と風貌との好ましいミスマッチ。
オノマチを思い出した。

正午過ぎ、京阪特急でいやいやながら出社しました。


デスクに金澤翔子の書を掲げた。
ぐいぐいと胸に迫る。
     


…出社してからは退屈な時間が流れる。
長い一日、久々の深夜タクシーで帰宅。
このところ交通事故の悲惨なニュースが続いたので深夜のタクシーは怖い。
数年前まではシーズン中は毎日のようにタクシー帰宅だった。
思えば何度か恐い目に遭った。
今日は恐怖心を紛らわそうとiPadで『宇宙兄弟』を読みながら帰る。
夢中になりすぎて道案内を忘れる。