2015/5/3 僕たちはいったいどこへ?

憲法記念日。
きょうから二日間はニュースデスク勤務。
世紀の一戦、と称してラスベガスでボクシングの試合をWOWOWで放送する。
メイウェザーとパッキャオ、どちらも名前は知ってるがどんなボクサーかは知らない。
ファイトマネーばかりが話題になっている。
思い出すのは…キンシャサのアリ対フォアマン、同じラスベガスのハグラー対レナード。
キンシャサは高校生の時、ラスベガスは四国の高松に出稼ぎに行ってたホテルで見た。
呼吸が乱れるくらい興奮して見た。
ファイトマネーのことは記憶に残っていない。


怪我をしてから運動らしいことをしてない。
きのう少しだけ山登りしたくらいか。
朝食にランプステーキが出る。
タンパク質をとって傷口を埋めないとね、とのご配慮。


…還暦近くなってくると出来なくなっていくことが増える。
逆に季節を感じるセンサーは年々鋭敏になってゆく。
な〜んてことをここ数年書き続けている。
6年前、2009年4月30日に蓬莱山(びわ湖バレー)を歩いた。
小旅行のリポートをmixi日記にアップした。


  青葉若葉の日の光、グリーンシーズン到来!
  「なだれ落ちるような若葉みどり」をゴンドラで急上昇。
  琵琶湖西岸 標高1000メートルは木々が芽吹いたばかり。
  蓬莱山から権現山の尾根を鳥の眼で歩く。
  眼下には満々と水をたたえる関西の水瓶。
  ラッパ水仙が黄金週間の人出を待ちきれずに咲き誇る。
  弁当持参。
  俵おにぎり、卵焼き、白身フライのウスターソース漬け煮。
  小さなボトルに入れた無濾過原酒を五勺ほど飲む。
  
                      2006/5/1 

    
   

 

この日記に友人の上野がコメントをくれた。
これがなかなかいいのだ。
冒頭に書いた加齢のかなしみとよろこびを美しく表現している。
自画自賛でもありますが再録します。


 (クラバート)
  いったいぼくたちはいつ頃からめぐる季節の情景に、
  こんな思慕を抱くようになったのだろう。
  まだ若い歌をうたいながら街を歩き走っていた頃には、
  季節なんてどうでもよかった。
  春は眠く、夏は身軽で、秋は飯がうまく、冬は爪先が冷えた。
  木々やそよ風、澄んだ空と花々のお行儀にこころ動かされることなど
  滅多になかったというのに、今はこんなに敏感になった。
  それを加齢とみるのか、知恵と捉えるのか。
  この優雅な春の小旅行には、すでに手渡された
  残りの時間という人生からの贈り物と、
  もしかしたらこの時季に二度とこの地を訪れることが
  ないかも知れないという郷愁とが、透けて見えるからかも知れない。
  そんな風にして生きているのが、いまという年齢であり、
  経験が教えてくれる囁きなのかも知れない。
  そんなことを思った日記でした。

 

コメントに返信した。


 (ぷよねこ)
  春は忙しく、夏は蒸し暑くバイトに忙しい、
  秋はなかなか訪れず、冬は風が冷たくいつまでも春は来ない。
  温泉はでかい風呂、酒は酔うために飲むもの、でした。
  季節季節に咲く花にも心通わせることもなく、
  あ、なんか咲いてるな、でした。
  それを加齢と言わず知恵と言いましょう。
  知恵の悲しみ、とはよく言ったものです。
  本来の意味とは違うのでしょうが、ここにも悲しみがあります。
  季節のうつろいの儚さやいで湯の風情を知ったかわりに、
   僕らは砂時計の残りを意識するようになりました。
  でも、いまはまだ人生を語らず、目の前にはまだ道はなし。
  語りたくなる年頃なのですね。
  めぐる季節が、語れ語れと背中を押す。
  貴兄の記述、ご明察です。


   

 


追悼 ベン・E・キング


ビジーフォー ベン・E・キング スタンド・バイ・ミー


The Best of Ben E. King (full album)

 

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