2011/3/7 ここにも『壁と卵』が…。

ましても寝坊の朝、9時過ぎに起きる。
昨日、ヒロがもらってきた堺の『かん袋』の“くるみ餅”を食べる。
商都の和菓子屋『かん袋』は安土桃山時代から続く老舗。
現在のご主人はなんと二十七代目だそう。
http://www.kanbukuro.co.jp/yurai.htm
クルミが入ってるわけじゃなく、お餅をくるんで食べるから“くるみ餅”
これがだたものじゃない旨さです。


…三月、身の回りの管理化が知らぬ間に進む。
自転車通勤してる人が管理者の何人もの許可が必要になり困惑している。
今回の1件だけをとりあげるつもりはない。
でも、この手の“誰も幸せにならないシステム”がこの10年じわじわ増殖している。
世界は誰も望んでない未来に向かってまっしぐらに突き進む。
ちょっと前はこういう兆しを「いやな感じ」(by 高見 順)と表現していた。
でも今、はっきりときっぱりと思う。
「こんな時代が大嫌いだ。私は永遠に唾をはく。自分にかかってもいいんだよ。」
無頼のフォークシンガー友川カズキの言葉に強く共鳴する。
やっぱりNoと言い続けていかないとダメだな。


先日の京大カンニング事件。
講談社のWEBページ「現代ビジネス」にこんな寄稿が載った。
『「カンニングを刑事事件したのはおかしい」なんて的はずれ!
      京大入試業務妨害事件「犯人逮捕」は間違っていない』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2214
読めば理屈は通っている。
しかし、これは管理者の視座だ。
村上春樹のエルサレム賞受賞の言葉にある『壁』から見た意見だ。
『卵』はいくら割れてもかまわないと思っている人の言葉だ。
やっぱりNoと言わなければ、と思う。


…唾を吐きたいことがもうひとつ。
今日はそういう日らしい。
中学生の頃、すごく違和感を持ったことがある。
海外で事故が起こる。
犠牲者が数百人。
新聞やテレビは、日本人は含まれていません、と報じる。
こんなにたくさん死んでるのになんて自分本意な…と憤った。
当時、全ての新聞やテレビがそういう報道をしていたかは定かではない。
邦人安否の情報が最優先にすることに批判的な意見もあったような気がする。
当時、世界をようやく認識し始めた純朴な田舎の中学生も同じ思いだった。
でも、時が経つにつれ、慣れてしまい、それが当たり前になる。
エエ歳になると僕もそういうものだと違和感がなくなってきたのは事実。
やっぱり日本人のことが心配だからね、と。


しかし、NZ地震で日本のメディアスクラムの話を聞くにつけ、
中学生のころの違和感がふつふつと再生され、頭に甦ってきた。
新聞の一面に大きく踊る『日本人』がちょっと疎ましい。
遺族の気持ちとは別の話のような気がする。
桑田佳祐の『月光の聖者達〜ミスター・ムーンライト〜』の歌詞ではないが、

  ♪月はおぼろ この国も 変わったよ 知らぬ間に


…散髪に行った。
最近なぜか眉毛を整えてくれる。
よほどゲジゲジなのだろう。
ゲジゲジでいいのにな。
あ、今月に入って断酒(休肝日)が今日で4日目。
この国は変わったが体重は変わらない。