最近は五輪ネタばかりだが、久々にしんみり来たブログがあった。
http://sasakijo.exblog.jp/10015192/
佐々木譲のブログ「佐々木譲の忘備録」に同年配の作家の集まりのことが書かれていた。
集まったのは壮々たるメンバーだ。
志水辰夫、船戸与一、逢坂剛、北方謙三、藤田宜永、
大沢在昌、宮部みゆき、森詠、西木正明。
ほぼ50代後半から60代、僕らの一世代上、ちょっと先輩という年齢。
冒険小説の傑作を生み出してきた男たちです。
(宮部みゆきだけは年齢も作風もちょっと違うけど)
ジョーが書いている。
ほぼ30年ぐらいのつきあいになる面々だ。
つきあい始めた当時は、みな勢いだけはよかったが、
まだ海のものとも山のものともわからなかった。
(北方謙三は言う。「おれは売れてた」)
年齢差もかなりある。しかし、仲間うちに序列はない。
あちこちの取材にも答えたが、お互いが遠慮なく、
面と向かって相手の仕事ぶりについて批評し合える関係だった。
つまり、もっとも恐ろしい読み手たちが、この仲間だった。
この仲間の前で恥じねばならないような仕事はすまいと、
絶えず、みなの顔を意識しながらわたしは書き続けてきた。
仲間のうちには、同じ想いだった者もたぶんいたはずだ。
この仲間たちが集まってくれてじつに感激だった反面、
今後このメンバーが揃うことはあるのだろうかと、
愛おしさに胸が苦しくなるような時間でもあった。
宮部さんがいみじくも言っていた。
誰か親しい編集者さんの感慨だという。
「遠くまできてしまいましたね」
「おれたちは、バウンティ・ハンターになるぞ」と船戸さんがかつて、
冗談めかして宣言したことがある。あれはいったいいつのことだったろう。
たしかにわたしたちは、不遜なバウンティ・ハンターとしても、遠くまできた。
こんな仲間のあいだでこの仕事を続けてこられたこと、
それを心から幸福に感じた夜だった。
※バウンティ・ハンター=賞金稼ぎ(ぷよねこ註)
「遠くまできてしまいましたね」
自分は…まわりの友人は、無名だけれど、作家の人たちと同様にこの種の感慨はある。
南正人にこんな歌がある。
♪こんなに遠くまで また来てしまった
やさしく包んで 欲しいけど その影もない
(南正人「こんなに遠くまで」)
マッカラン友の会やカーリングチームの仲間、あるいは仕事仲間、飲み仲間。
大学の時に南正人の歌を放歌しながら飲み明かした友人たち。
この先、彼らとあと何度会うことが出来るのだろう。
ジョーが仲間の志水辰夫のブログを紹介している。
http://www9.plala.or.jp/shimizu-tatsuo/sub5kinkyouhtml.html
これも一抹の淋しさを誘う文章だった。
「これだけの顔触れのそろうことが、この先もまだあるだろうか」
ということばが何回も出たが、たしかにもうないかもしれない、
と思わせる希有のひとときになったことはたしか。
かつての仲間が一堂に会すること自体、きわめてむずかしい時代になっている。
ましてわれわれ以降の世代の作家になると、こういう集まりはおろか、
つき合いすらないらしいのである。
それにしてもなんという時間の早さだろう。
かつての青臭いガキどもがいまや長老。
若いものから煙たがられる存在になりかけている。
それでもまだ、われわれは幸運だったとつくづく思う。
本というものが暮らしのなかで大きな比重を占めていた時代に
生まれ合わせていたため、
その恩恵をたっぷり受けることができたからだ。
活字離れ、紙メディアの衰退など、これから先のことを考えると、
若い作家の行く手はすこしも明るくない。
それを引き受ける覚悟のあるものしか、この世界に参入してはいけないよと、
あえて忠告しておきたいのである。
久しぶりに楽しい一夜だったが、少々感傷にも満ちた夜となったのだった。
(志水辰夫公式ページより)
僕自身も幸福な時代を生きたと思う。
その実感は歳を重ねるごとに確信へと変わる。
しょせん、その程度の、とも言わば言え。
幸福な時代の共有意識。
釧路の宿主がよくブログでつぶやく。
ホントにそう思う。
たとえ、この先に安楽な生活が待っていなくとも運命を恨んではいけない、と思う。