2010/2/21 遠くまできてしまいましたね。

最近は五輪ネタばかりだが、久々にしんみり来たブログがあった。
http://sasakijo.exblog.jp/10015192/
佐々木譲のブログ「佐々木譲の忘備録」に同年配の作家の集まりのことが書かれていた。


集まったのは壮々たるメンバーだ。
志水辰夫、船戸与一、逢坂剛、北方謙三、藤田宜永、

大沢在昌、宮部みゆき、森詠、西木正明。
ほぼ50代後半から60代、僕らの一世代上、ちょっと先輩という年齢。
冒険小説の傑作を生み出してきた男たちです。
(宮部みゆきだけは年齢も作風もちょっと違うけど)
ジョーが書いている。


 ほぼ30年ぐらいのつきあいになる面々だ。
 つきあい始めた当時は、みな勢いだけはよかったが、
 まだ海のものとも山のものともわからなかった。

 (北方謙三は言う。「おれは売れてた」)
 年齢差もかなりある。しかし、仲間うちに序列はない。
 あちこちの取材にも答えたが、お互いが遠慮なく、
 面と向かって相手の仕事ぶりについて批評し合える関係だった。
 つまり、もっとも恐ろしい読み手たちが、この仲間だった。
 この仲間の前で恥じねばならないような仕事はすまいと、
 絶えず、みなの顔を意識しながらわたしは書き続けてきた。
 仲間のうちには、同じ想いだった者もたぶんいたはずだ。
 この仲間たちが集まってくれてじつに感激だった反面、
 今後このメンバーが揃うことはあるのだろうかと、
 愛おしさに胸が苦しくなるような時間でもあった。


 宮部さんがいみじくも言っていた。
 誰か親しい編集者さんの感慨だという。
 「遠くまできてしまいましたね」


 「おれたちは、バウンティ・ハンターになるぞ」と船戸さんがかつて、
 冗談めかして宣言したことがある。あれはいったいいつのことだったろう。
 たしかにわたしたちは、不遜なバウンティ・ハンターとしても、遠くまできた。
 こんな仲間のあいだでこの仕事を続けてこられたこと、

 それを心から幸福に感じた夜だった。


 ※バウンティ・ハンター=賞金稼ぎ(ぷよねこ註)

 

「遠くまできてしまいましたね」
自分は…まわりの友人は、無名だけれど、作家の人たちと同様にこの種の感慨はある。
南正人にこんな歌がある。


♪こんなに遠くまで また来てしまった
 やさしく包んで 欲しいけど その影もない 
              (南正人「こんなに遠くまで」)


マッカラン友の会やカーリングチームの仲間、あるいは仕事仲間、飲み仲間。
大学の時に南正人の歌を放歌しながら飲み明かした友人たち。
この先、彼らとあと何度会うことが出来るのだろう。


ジョーが仲間の志水辰夫のブログを紹介している。
http://www9.plala.or.jp/shimizu-tatsuo/sub5kinkyouhtml.html
これも一抹の淋しさを誘う文章だった。


 「これだけの顔触れのそろうことが、この先もまだあるだろうか」
 ということばが何回も出たが、たしかにもうないかもしれない、
 と思わせる希有のひとときになったことはたしか。
 かつての仲間が一堂に会すること自体、きわめてむずかしい時代になっている。
 ましてわれわれ以降の世代の作家になると、こういう集まりはおろか、
 つき合いすらないらしいのである。 


 それにしてもなんという時間の早さだろう。
 かつての青臭いガキどもがいまや長老。
 若いものから煙たがられる存在になりかけている。
 それでもまだ、われわれは幸運だったとつくづく思う。
 本というものが暮らしのなかで大きな比重を占めていた時代に

 生まれ合わせていたため、
 その恩恵をたっぷり受けることができたからだ。
 活字離れ、紙メディアの衰退など、これから先のことを考えると、
 若い作家の行く手はすこしも明るくない。
 それを引き受ける覚悟のあるものしか、この世界に参入してはいけないよと、
 あえて忠告しておきたいのである。


 久しぶりに楽しい一夜だったが、少々感傷にも満ちた夜となったのだった。


                     (志水辰夫公式ページより)

 

僕自身も幸福な時代を生きたと思う。
その実感は歳を重ねるごとに確信へと変わる。
しょせん、その程度の、とも言わば言え。
幸福な時代の共有意識。
釧路の宿主がよくブログでつぶやく。
ホントにそう思う。
たとえ、この先に安楽な生活が待っていなくとも運命を恨んではいけない、と思う。

http://www.youtube.com/watch?v=_EqpIcUnW6o