今朝も我ら夫婦の食卓の話題は映画「アルバート氏の人生」について。
挨拶は、グッモーニング、ミスター・アルバート、で始まる。
あのとき、アルバート氏がこんな表情したでしょ、あれはね…。
何か感想を言うたびに新しい発見をしたり。
決して明るい映画でも元気になる映画でもない。
悲惨な時代のハードな人生を描いた物語。
要するにハマっているのだ。
(じきに飽きるだろうけど)
「ファーストポジション」「拝啓、愛しています」の感想もアップしていない。
感想をちゃんと書くまでしばらくは新しい映画が見られない。
自分がよかったなあと思う映画の感想はすぐには書けない。
いや、書こうと思えば書けるのだけど…。
ちゃんと書かねば、と身構えてしまうだ。
誰が見てるわけでもないのにね。
ケナすのは簡単だけど、好きなものを伝えるのは難しい。
ちゃんと伝えたいと思うからだ。
いや、エエカッコしたいからだ。
(好きな人に書くメールや絵はがきも同じ)
結果、うまくは書けなかったり、賞味期限切れして感動を忘れてしまったりするけど。
ま、ぷよねこ日記だからそれもあり。
西宮北口の高木公園の梅が咲き誇る。
こういう季節ネタは鮮度が大切です。
よいものは見えにくい。
田口ランディが「根をもつころ翼をもつこと」というエッセイ集のあとがきに書いていた。
ほんとうにすばらしいことは、隠されていることが多いです。
悪いことの背後にもよいことがあります。よいことは悪いことよりも複雑で、つかまえにくいのです。
いっしょうけんめいになりすぎると見えなくなります。
よいことは見過ごされがちです。
よいことは、悪いことよりもとるにたらないのです。
それはきっと、よいことは、人間にとってあたりまえだからです。
2006年4月28日 田口ランディ
大義に惑わされるな、と思う。
たとえば景気回復、被災地復興、教育改革、オリンピック開催という大義。
これっておかしいと思ってても、経済復興のため、に異議を言い出せない。
何かが犠牲になってたりしても、言い出せる雰囲気じゃない。
大義は正しい、けど正しいことは大義のもとに行われないのではないか、と思う。
新型インフルエンザ騒ぎでも感じた。
いまの体罰問題や日中関係や安全保障問題でも同じだろう。
ぼくら個人はマスメディアではないのだからビビッドに発信し続ける必要はない。
毎日のように怒りや腹立ちを過剰に吐き出せば本当のことが見えにくくなる。
「よいことは悪いことより複雑でつかまえにくい」
本当に大事なことは大義とは別なところにあるような気がする。
…寒波が来るという予報だが鈴鹿や紀泉の山から霧氷の便りがない。
御在所岳の樹氷もここ一週間ほどついていないと言う。
岩佐翁が先日 白馬へ雪山展望の日帰り旅行へ行ってこられたようだ。
やっぱりしかるべきところへ行かねばならぬ。
そして、我らの上に青空を!
Hiro コーヒー西宮北口店へ行く。
誕生日プレゼントのハガキが届いていて今なら豆が20%オフ、店で使える1000円分のチケットもある。
二種類の豆を珍しく挽かずに買う。
本を読みながら珈琲とツナとトマトのグラハムサンド。
カウンターの隣に座っていた60代おばちゃん二人の会話。
「愛の讃歌」の話をしてたようで途中から盗み聞き。
誰が歌ってた? 越路吹雪やろ、違うか? フランス人やで、 …で始まった思い出しタイム。
行き着いた先が、そうや、デビット・ピラフ!
ピラフ違うやろ、ピヤフや、 で散々大笑いしたあと、デビット・ピヤフで話がついた。
いいのだろうか?
以前、似たような会話を聞いた。
福島駅の高架下にあるタクシーの運ちゃん御用達の大衆食堂にて。
テレビでサッカー見ながら、タクシードライバーと店のおばちゃんの会話を盗み聞き。
「オマーンって中東か?」「え、ナンベイか?」「オーベイやろ」
会話が終わってしまった。
…夜は自宅で鉄板(ホットプレート)でそばめし。
微妙な焦げ方が最高でした。
もちろん、僕だけ目玉焼きつき。
夜は久々に筋トレ&プール。
今年の年間目標の一つに“クロールで連続して400m泳ぐ”がある。
いまだクロールのブレスが苦手だ。
ちゃんと肺呼吸出来ないから50メートルも泳ぐと呼吸が浅くなって苦しい。
苦しいと速く泳ごうとしてフォームが乱れる。
ヒロはクロールなら1時間でも泳いでいられる。
速く泳ごうとするからや、速く走ったら息苦しくなるのと同じやで、と言う。
400メートル、25mプールなら8往復泳ぎっぱなし。
夏の朝、ゆっくり30分泳ぎ続ける。
気持ちいいだろうなあ。
…先日、歌舞伎の市川團十郎さんが他界、66歳だった。
団十郎さんの舞台を見たのは二度、だと思う。
どちらも勧進帳、団菊祭で弁慶が団十郎、富樫が菊五郎、それと父子競演で弁慶が海老蔵、富樫を団十郎。
団十郎の歌舞伎界における偉大さや役者としての評価は僕にはよくわからない。
ただ、ばあばあ(義母)と同じ白血病だったということで親近感を感じていた。
「あの人は台詞が聞き取りにくうてなあ」
そういう評価が一般的だったのかは知らないが以前ばあばあがそう言っていた。
先入観を持って団菊の勧進帳を見た。
聴きとり難いかもしれない、そう思った。
松竹座の3階席でいっしょに見た眼鏡堂さんからも滑舌のことを聞いたかもしれない。
そのあと、ばあばあが白血病で一ヶ月ほど入院した。
退院祝いに松竹座の大歌舞伎に招待した。
父子の勧進帳。
富樫団十郎を見たばあばあは言った。
「あの人は随分努力しはったんやで。台詞もようなったわ。早うに親亡くして苦労しはったし偉い人やでえ」
今思えば同じ病気を克服した仲間意識が芽生えていたのかも知れない。
団十郎さんへの言葉がやさしくなっていた。
極楽座大歌舞伎。
天国でばあばあも団十郎の勧進帳を見に行くのだろうな。
作家の佐々木譲さんがつぶやいていた。
十二代目市川団十郎さんが亡くなったのだね。
わたし、襲名披露公演の『勧進帳』を観て、『ストックホルムの密使』のサブテーマを得た(書いたのはずっと後だけど)。
歌舞伎も好きな読者なら、誰が富樫、誰が弁慶か、気づいたにちがいない。
そうだったのか。
でも悲しいかな『ストックホルムの密使』のあらすじをすっかり忘れている。