2015/5/25 白山展望と水芭蕉の山@越前取立山

福井県の山、奥越高原の取立山(1307m)に登りました。
越前の山に登るのは初めてで、しかも日帰りでの遠出も初体験。
登山のお目当ては、
1.残雪の白山連峰を見る、2.ミズバショウの群落、3.標高1000m以上の高原の新緑。
昼から雲も出て終日ピーカンというわけにはいきませんでしでしたが、
概ねミッション・コンプリートでした。


1. 白山連峰の遠望。
御前峰や大汝山の最高峰は雲隠れ。
  


2. 取立平のミズバショウ。
  ほぼ最盛期でした。
  


3. 新緑の尾根道。
  この手前の樹林帯の道に初夏の花が咲き乱れてました。
 

 

行動メモ: 5時半起床〜自転車でJR西ノ宮駅〜大阪駅から 0710 発サンダーバード1号自由席にて福井駅〜
      オリックスレンタカーで日産の軽自動車を借り、奥越高原の東山いこいの森〜1045登山口スタート
      〜1530 登山口に戻る〜勝山のローソンで膝のアイシング用の氷購入〜永平寺温泉禅の里にて入浴
      〜1715 レンタカー返却 〜福井駅にて夕食(おろしそば・ミニソースカツ丼・焼き鯖寿し・グラスビール)
      1842 サンダーバードにて大阪へ〜2115 帰宅































2014/5/25 泥の中

ジリ貧な日々が続く。
せっかくの五月の青空を無駄に過ごす。
長生きしても人生30000日、すでに20000日を使ってしまった身。
もっと一日一日を大事に生きよう。
   

夜、アジアカップ決勝を見る。
日本がオーストラリアを1−0で破り初優勝。
相変わらず澤の存在感、川澄の運動量は頼もしい。
準決勝、決勝と2戦連続決勝ゴールの石清水梓、得点はともかく守備がいい。
なでしこは大人のチームだなあ。
   

 

元町に出て高架下を歩く。
ポロシャツを買おうとしたが寸法が合うのが無い。
おまけにサイフを家に忘れて無一文。
クレジットカードのキャッシュサービスを使ってしまう。
なんか全体にダラけてきてるなあ。
金時食堂へ入るもおっさんグループで満席。
出ようと思ったが店のおばちゃんに強引に相席させられる。


ジリ貧を自覚しているのに抜け出せない。
泥の中を歩く感覚。
いや泥の中にじっとして動かない。
マドリングスルー、しかない。
メールで懐かしい写真が送られてきたり嬉しいことだってあったのだが全体として右下がり傾向。
気のせいだと思う。
明日とあさっては断酒しよう。


   考えたとおりに生きなさい。
   そうしないと いずれは、生きたとおりに考え始めてしまうから    
               

                          ポール・ブールジェ


週末は広島出張だ。

2013/5/25 きのうの顚末


小豆島日帰りツーリングの翌日の今日、僕はまた三宮に出かけて「こんぴら2」の神戸入港を待っていた。
  


…昨日、夕方に明石海峡大橋通過後にfacebook に投稿した。
大満足だった小豆島への旅の締めは冷たいビールと台湾料理、のはずだった。
が……!
       


こんぴら2が神戸港に着岸。
下船しようとした時、あるべき場所にバックパックがない!
つい15分ほど前、上記の写真をiPhoneから投稿したばかり。
iPhoneはそのサイクリング用パックのサイドポケットに入れていた。
ザックごと消えている。
あろうことかザックには財布も入っている。
ついでに言えば4枚のクレジットカード、3枚のバンクカード、保険証も財布の中。
免許証も、お土産に買ったオリーブオイルや醤油びん4本も、だ。
現金は…小豆島のコンビニで3万おろしたばっか、まだ使っていない1万円分のクオカードだって入ってる。


焦った。
まもなく一般客の下船が始まる。
船のスタッフ(売店のおばちゃん)もいっしょになって探してくれる。
見つからない。


置き引き?
下船間際、心ないドライバーが車両デッキに持って行ったとしたら一斉検問でもするしかないが…。


時間切れ。
とにかく盗難届を出しておいたら、とのこと。
三宮交番で事情を説明して僕のバックパックに手配がかかる。
iPhoneも、現金も、カードもない。
僕の手に残ったものはデジカメと自宅の鍵とブロンプトンだけだった。

 

丸玉食堂で締めのビールどころか、旅は暗転。
無一文のまま、自宅への16キロをブロンプトンで走った。


失意のまま帰宅。
ヒロは落語会からまだ帰ってない。
やるべきことをやっておこう。
2号線を自転車で走りながらザックに入っていたもの、財布にいれておいたものを頭の中でリストアップした。
iMacを起動させてTO-DOアプリに失ったものを書きこむ。
クレジットカード、バンクカード、免許証、保険証…。
それぞれの連絡先もメモしていく。
ヒロが帰宅。
事情を話すと予想通りの反応。
「だいたいさあ、普段から不注意なんや。いつかしでかすと思ったわ」と怒られる。
激しく凹む。
施設に送られることを覚悟する。


まず携帯の回線を停める。
バンクカードを停めて再発行手続きをする。
引き出された形跡はない、との情報に安堵する。
同じくクレジットカードの停止、再発行。
こちらも不正に使われた形跡無し。
よしよし。
深夜までかかってTO-DOリストをつぶしていく。


迂闊だった。
数分とはいえ下船間際に貴重品満載のザックから目を離したこと。
日頃から財布にカード類を集中させ過ぎだったことも災いした。
これ盗られたり、落としたりしたらエライことになるよなあ、と思ってたのだ。
まさか、はいつか起こるのだ。

 

明日は朝イチでソフトバンクショップへ行こう。
免許の再発行、駐輪場のカードの再発行、保険証の再発行の手続き。
行動リストを確認して、失意のまま寝る。

 

 

翌朝、ヒロは友人と京都の大文字山へ登るのだと早朝に出かけていった。
食卓に置かれた封筒に現金3万円が入っていた。
さあ、携帯の復活、免許証の再発行だ。
いつまでも落ち込んではいられない。


ふと思った。
フェリー会社にもういちど確認してみよう、と。
10年ほど前、入院中にサイフを盗まれたとき、病院内のトイレで見つかったことがあった。
犯人は留守の病室で盗み、すぐにトイレの個室に入り、現金を抜き取りサイフを捨てていったのだ。
(幸いにも現金は1500円程度しか入ってなかった)
フェリーでもその可能性はある。
確認しとこ。
高松港のジャンボフェリーへ電話した。
きのう「こんぴら2」でザックを失くした者だと告げる。
電話口で女性が言う。
「あ、シオダさんですか?」
「は、はい」
「黒いザックですよね。お預かりしてます」


あった!
「どこにあったんですか?」
「4階のデッキの喫煙所の灰皿の下にあったそうです」
??????


ザックは高松にあるという。
一瞬、高松まで取りに行こうかと思った。
電話口の女性がちょっと待って下さいと言う。
一刻も早く中身を確認したい。
カードは無事なのか、免許証は無事なのか、iPhoneは無事なのか。
女性が言う。
「こんぴら2は昨日と同じ便で神戸に行きますから神戸で受け取ってください」


神戸第三突堤、19:20着のこんぴら2を待つことになった。


携帯も、免許も、保険証も再発行の手続きは保留。
ヒロにも留守電で伝えておく。
他にやるべきことはなくなった。
突然、気が楽になった。
小豆島の写真を整理する。
美しい写真だ。
こころ晴々。


午後イチで再びブロンプトンで出発する。
今日もよく晴れて暑い。
スポーツオーソリティーでTシャツを2枚買う。
久々に青森煮干しラーメン「なかた屋」へ行く。
背あぶら濃厚魚介中華を食べる。
旨い!
旨いけど脂が気になる。
やっぱり煮干ししょうゆラーメンにしておこう。
料理人はあいかわらず別嬪さんでした。
阪急夙川から御影まで輪行する。
フェリー到着まで時間があるので灘温泉水道筋店へ行く。
久々の炭酸源泉掛け流し。
元町までブロンプトンで走る。
そして、台湾料理「丸玉食堂」だ。

 

旅のシメは丸玉食堂のはずだった。
でも、丸玉へ行ったのは今日です。
瓶ビール2本、翔詰め、冷製のかしわ、肉飯。
  


メリケンパークへ移動。
潮風に吹かれながらフェリーを待つ。
  

 

19時半、こんぴら2が神戸第三突堤に着岸。
フェリーの乗車ブリッジまで行き船内売店のおばちゃんからザックを受け取る。
およそ24時間ぶりの対面。
主と別れて高松まで旅してきたのだ。
受け取りのサインとか捺印とかは不要とのこと。
あっさりしたものだ。

 

待合室でザックの中身を確認する。
財布はある、iPhoneもある、土産のオーリーブオイルもある。
無傷。
被害無し。


  

 

ことの顚末を確認してみる。
記憶している事実はこうだ。
きのう、下船間際に僕がザックを置いたのは2階下船口の椅子の上。
写真を撮りに屋上デッキに上がった。
その間にザックが消えた。
1階の船内から屋上デッキまで捜索したが見つからなかった。
で、見つかったのは4階デッキの喫煙所の灰皿の下。


煙草は吸わないので喫煙所へは行った記憶はない。
どういうことだ?
僕の記憶ではカメラだけ持って屋上デッキへ行ったはず。
ザックはいかにして移動したのか?
盗難なら人の出入りのある喫煙所へは持ち込まないだろう。
やはり、僕が無意識にザックを持って行ったのか。
あるいは4階デッキで発見されたことが事実と違うのか。
盗難説は…うーむ、確率は低い。
ただのいたずらか?
意味ないし。
やっぱり自身を疑うしかない。
記憶が落ちている。
ザックが見つかったのはもちろん嬉しいが…。
自分の脳がちょっと心配だ。


  


実質の被害額はカード類の8枚の再発行手数料。
おそらく5000円近いだろう。
でも、それで済んで良かった。
そう思う。

2012/5/25 森の朝


 デッデッポーポー、デッデッポーポー


能勢の森、午前5時。
キジバトの鳴く声で目がさめた。
キャンピングガスで湯を沸かしてコーヒーを淹れる。
昨夜の残り酒でぼんやりした身体を熱い飲み物が覚醒させる。 

   


僕は一人用のテントで寝た。
もう一つの5人用にA木とY田。
明け方、誰かの足音で目が覚める。
腕時計を見るとまだ4時台じゃないか。
気がつけばもう外は明るい。
それから30分ほどシュラフの中でうつらうつらして外へ出る。
早起きはA木だった。
散歩していたらしい。
年寄りか。


Y田も起きて珈琲を飲む。
昨日の残りの豚汁にご飯を放り込み雑炊にする。
卵を割りきざんだネギをかける。
飲んだ翌朝は熱い汁物がいい。
    


6時過ぎ。
さあ、撤収だ。
今日はA木も僕も出勤日なのだ。
二人にそれぞれミッションを与える。
A木はテント撤収、Y田は食器洗い、僕はシュラフやマットの片づけ。
こういう単純な軽作業は楽しい、と僕は思う。
嫌な奴と話をしたり、ケータイで交渉したり、スケジュールをやり繰りしたりする鬱陶しい作業に比べると数倍楽しい。
いや確実に仕事が進んでいくことは癒しにさえなる。
他の二人はどう思っているか知らないけど。


チェアやテーブルやテントについた汚れはぞうきんで拭き取る。
準備も大切だけど後処理も大切だ。
ちゃんとしておかないと絶対に後悔する。
仕事と同じ。
わかってるじゃん。
でも、悲しいかな仕事がない。


雨?
予報では昼過ぎからのはずなのに。
ま、想定内、ピッチをあげて撤収を急ぐ。


7時前、撤収完了。
毎朝これくらい早く起きていればここに住むことさえ可能だ。


…Y田くんの車で帰宅、キャンプ装備を下ろしてポートウェーブ西宮で朝風呂に入る。
しばらくソファで横になってるとそのまま爆睡しそうになる。
ヤバイヤバイ、と自分にムチ打って出勤、ニュースデスク勤務につく。
なにゃかんやと連絡業務があるうちはいいがヒマになると激しい睡魔が襲う。
電車やバスの運転士じゃなくてよかった。


テレビは次長課長 河本の会見映像が延々と流される。
興味のない話題ではないがあまり積極的に関わりたくはない。
自分には無縁でありたいと思う。
生活保護の規定というのは少しルーズなくらいがいいと思うのが本音だ。
暴力団関係者が役所の職員を恫喝して不正受給しているケースは放置して、
タレントを叩いたことで本来もらうべき人がもらえず、より苛酷な状況になるのではないだろうか。
今回の案件はどうみても声なきワーキングプアの層にとって明らかに逆風。
ある人が書いていた。
『100人が必要なところに80人にしかあげないよりも、「ズルい人」が出ても、本当に必要な100人をカバーした上で
 120人にあげちゃうほうが、はるかにマシなんじゃないかと思っているのです。もちろん、お金がないと難しい話ではありますが、理念として』
この意見はかなり叩かれていたけどあくまで理念として僕は支持します。


…タクシーで深夜帰宅、雨は上がっていた。
ヒロが、全日本女子バレーチームに物申す、今回の世界最終予選の感想を聞く。


・センター(ミドルブロッカー)の得点が少なすぎる。
  普通に戦っていればセンターが速攻、ブロックで得点する率がもう少し高いはず。
  荒木は得点パターンが少な過ぎてワイド攻撃のスピードとレンジ(距離)に劣る。
  大友〔山本)や杉山ならチャンスボールの時に必殺パターンがあったのに、と荒木にダメ出し。
  確かに速攻が遅い(変な言い方だけど)。ワイド攻撃にもブロックが追いつかれる。
  竹下と合ってないのでは? というか荒木に合わせるのが難しいのでは? と思う。
  ロンドン五輪に出られたとして竹下と合っている大友復帰が間に合うか。


・木村と竹下を少し休ませろ。
  江畑のパワー&スピードは世界に通用するレベル。
  でも、木村が狙われてこその江畑、新鍋、迫田なのだ。
  おとりになる木村がいつか疲弊しないか心配。
  少しは失点覚悟で休ませないと。


・セーフティーネット?
  最終予選の開催地ゆえドロー(組み合わせ)も優遇されている日本。
  最初に弱いとこ、調子を上げて強いとこ。
  当然、各国からのクレームは承知の上だろうが、それがプレッシャーになってないだろうか。
  今さらながら韓国と比べるとよくわかる。
  それが韓国の負けん気に火をつけたのでは。
  

起床5時、就寝3時。
長い一日だった。

2011/5/25 大峰山の美人三姉妹

山を歩く愉しみの一つは野に咲く花に出会うことだ。
ことに初夏の奈良大峰山は別嬪揃いで映画で言えば主演女優クラス、

宝塚ならトップスターなのだ。
大峰の三大スターは山麓から出会う順番に、石楠花、白八汐、山芍薬です。
美人三姉妹は野に咲く花、すべて野生種であるのがいい。


石楠花(しゃくなげ)
霧雨の中、登り始めるとすぐに急登となる。
登りの辛さを忘れさせてくれるのがシャクナゲの群落だ。
『花木の王』と呼ばれるにふさわしい艶やかで堂々たる咲き姿。

(『花木の女王』はバラ)
米国ワシントン州(シアトルのある州ですね)の州花であるという。


白八汐(しろやしお)
奥駈道の初夏を彩るツツジ科花。
新緑の中、強く主張することなく、されど美しく上品に咲く。
満開の季節、晴れた日に奥駈道を歩くと、ここは天国か、と錯覚させられるほど。


山芍薬(やましゃくやく)
山中、奥深くしずかにひそやかに咲く。
図鑑には『山で咲き、全体がシャクヤクに似ているのでこの名がある。
あまり人が入らない林の中にひっそりと咲く花で気品があり美しい』とある。
儚げ(はかなげ)、されど存在感は三姉妹の中で抜きん出ていると思う。

2011/5/25 陽春の奥駈道に舞う


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2010/5/25  How Deep Is Your Love

首相と日本代表監督を同列に評するのはどうかと思う。
ただ、二人とも鉄のメンタリティ、あるいは鉄面皮を持ち合わせてはいないのは同じ。
二人とも謝っちゃう人なのだ。
ものわかりのいい、まともな“いい人”なんでしょうね。
県外移転なんて言わなきゃ、4強なんて言わなきゃ、ね。
辺野古はおそらく小泉政権以前からの規定事実だったのだ。
ハト政権に動かせる代物ではなかったのだ。
ゼネコンの莫大な利権もろもろに内閣は北マリアナへの国外移転案をあえて見なかったことにした。
抑止力に目覚めたなんて言い訳に過ぎない。
格差拡大、弱肉強食の風邪吹き荒れる昨今、日本国内で経済力の一番弱い島が犠牲になり続ける。
もしあのまま麻生政権が続いていたら…ドタバタ陳謝は無かっただろう。
ただ頼りないからといって強権独裁を待望するなかれ。


もしオシム体制が続いていたら…? こっちは面白いかなと思う。


…朝から会議。
晴れたのにジョギング見送り。
もう少し早起きすればいいのだけれど。


今朝の一曲。
ビージーズの『愛はきらめきの中に』
この時代のミュージシャンってむさ苦しいね。
昨日のキャット・スチーブンスもそうだけど。
音楽は朝のさわやかなイメージなのに…。
Bee Gees - How Deep Is Your Love (Video)

 

…インディアンカレーの禁断症状が出る。
堂島でスパ+卵(750円)で衝動を抑え込む。


甲子園へ交流戦取材にいこう(実際は純粋な娯楽としての観戦)と思いつく。
JR西ノ宮駅で自転車に乗ったところで雨が強くなる。
すごすごと自宅へ逃げ帰りテレビ観戦。


NHK『スポーツ大陸』本田圭佑を観る。
ドキュメントの中では当然のことながら何度も試合の映像が出てくる。
オランダリーグ、ロシアリーグ、チャンピオンズカップ、日本代表のAマッチ。
日本代表の試合だけ別のスポーツのようにスローモーに映るのはなぜだろう。
もっちゃり、もたもたしてボールも人も移動距離が短い。
とても狭い場所で動いているように見える。
バイアスをかけて最初から批判的に見ているつもりはない。
同じ本田がプレイしているのだ。
中村俊輔にも小野伸二にもあった同様の現象。


仮説を立てる。
ロシアリーグ、あれは肉食獣の獲物の争奪戦なのだ。
周りすべてが肉食獣なので本田圭祐にある肉食獣の本能が覚醒する。
しかし、日本代表イレブンではそれがない。
覚醒するに至らないのだ。
モスクワの選手より上手い選手は多くいるはずなのに彼らは肉食獣ではない。
W杯本番の相手は、アフリカのライオン、欧州のオオカミや熊。
本能は目覚めるか?

2009/5/25 さんふらわあ ぱーる

   
新聞を見て驚く。
昨日、芦屋浜でジョギング中の男性(43)が落雷で死亡とのこと。
発見されたのは午後3時半過ぎ、甲子園が雷雨でノーゲームになった頃か。
新聞に場所が示されている。
僕は雷が苦手、というか恐くてたまらない。
なので、決してそんな天候では走らないだろう、けど全く同じコース上とは衝撃。
走っている時に雷の兆候はなかったのだろうか。
それとも家が近いから、早く帰りたい、ええい行ってしまえ、と飛び出したのだろうか。
正直言ってインフルエンザより、ジョギング中の雷の危機管理の方が身近に感じられる。
それにまだ5月だ。
まさか雷なんて、と思うよなあ。
被害者に同情します。


朝はまだ曇っている。
天気予報では晴れるはず。
今夜の神戸(六甲アイランド)から大分行きのフェリーに乗る。
初夏の九州の山を登る予定。
明日は由布岳、あさっては牧ノ戸峠から久住山、3日目は阿蘇の烏帽子岳か杵島岳。
ミヤマキリシマが咲く季節だ。
晴れれば嬉しいが霧雨に煙る山もいい。


…ビーチバレーが終わったので久々にMLB中継。
タシェラ(N.Y.)がバットを根もとから折られながらスタンドイン。
え?
バットは真っ二つに折れたんだよ。
伝わるパワーは半減してるはずなのに…。


解説の金森にあまりリアクションがない。
この人は聞かれない限りほとんど答えない。
大島に比べれば静かでいい、と言えばいいのだが、これで仕事になっているのだろうか。
たまに言うことも僕ら素人と同レベルだし。
一生懸命ふっているアナウンサーにとっても負担なのでは?
大丈夫か金森、と心配してしまう。


…北朝鮮が核実験、という大きな見出しが夕刊紙に躍る。
偏見で申し訳ないが、北は西側の極右勢力と結びついているような気がして仕方がない。 
軍拡主義者、兵器産業、軍需産業、改憲論者、彼らに都合のいい存在だ。
もし北朝鮮が良識ある民主国家だったら、彼らの存在理由が消えてしまうのではないか。

 

…六甲アイランド19:30発「さんふらわあぱーる」(全部ひらがな)に乗船。
自宅から阪神電車で御影駅、連絡バスで六甲アイランドフェリー乗り場まで、
所要時間はドアからドア(乗船口)で40分もかからない。
伊丹空港へ行くより早いかもしれないな。

   

この路線は去年9月の大分国体に応援に行った時以来。
その際に乗った「さんふらわあ ごーるど」と同様にこの「ぱーる」も新造船。
2008年1月就航、2年も経っていないピカピカの大きな豪華フェリーだ。
ネット予約割引のツーリストクラス(2等の大部屋)で片道7040円。
その値段でそれなりにゴージャスな気分が味わえる。
船旅はいい。
船内に一歩足を踏み入れた時からワクワクしますね。
さあ、探検だ!なんて。


朝食以降は何も食べなかったの。
明るい共有スペースの窓際でヒロの作った弁当を食べる。
卵焼き、ウインナーソーセージ、牛肉とタマネギの甘辛炒めに俵おにぎり。
自販機の缶ビールがきんきんに冷えている。


20時過ぎ、明石大橋通過。
最近のフェリーは甲板への出入りが制限されている。
安全対策なのだろう。
デッキの手すりもたれて海風に吹かれるのは船旅の楽しみだったのにね。
多分に自己陶酔ではありますが。


人生で何度フェリーに乗っただろう。
甲子園〜津名(淡路島)を結ぶ甲子園フェリーというのもあった。
明石海峡大橋が出来た頃に須磨〜大磯の路線とともに廃止になった。
西宮から2時間くらいで淡路島、ちょっとした小旅行気分が味わえた。
自転車をフェリーに乗せて渡り淡路島を一周して日帰りしたこともある。


何度フェリーに乗った?
思い出してみる。
敦賀から小樽、小樽から礼文島(礼文島路線も廃止になった)
大阪南港から那覇、鹿児島から奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島。
佐世保から五島列島、神戸から甲浦、土佐清水。
ウエールズのホリーヘッドからダブリン、北アイルランド〜スコットランド。
この先、こうして思い出している以上の数のフェリーには乗ることはないのだろう。
別に乗ったフェリーの数で人生の価値が決まるわけでもないけど。


そんなことを思うのは『まぐろ土佐船』を読んでいるからかもしれない。
船の上で潮騒とエンジン音を聞きながら読むと臨場感が増す。
この本の著者が船の体験は価値があると思う。
驚きと発見、苦難と歓喜に満ちている。
どれもこれも中途半端なものはない。
読むのが遅いのは退屈だからではない。
読み終えるのが惜しいのだ。
たまにそんな本もある。


寝る前に風呂に入る。
展望浴場の窓から夜の瀬戸内海が見える。
船の灯と島の灯が湯気ににじむ。

2015/5/24 そうだ取立山、いこう!

あした山に行く。
白山を見るぞ!
ミズバショウを撮るぞ!
さて、僕らはどこへ登るのでしょう。
 

5月は鈴鹿の竜ヶ岳に登る予定だった。
半ばから末あたりでシロヤシオの花が咲く。
笹原に咲く白い花はさならが緑の牧場に放された羊の群れのようであるらしい。
季節になると登山者たちは「ひつじ見に行こか」となるらしい。
ところがヤマレコという登山レポートサイトを見るとシロヤシオがハズレ年らしい。
羊はいなかった、とか、羊は一匹だけ、とか残念なレポートが次々とアップされる。
4月も鈴鹿だったし、ヒロと相談して今年の羊は諦めようとなった。
でもどっか登りたい。
白山のチブリ尾根の小屋まで行こうか。
白峰か市ノ瀬で一泊しないとキツイな。
若狭の青葉山はどうだろう?
関西日帰り登山ガイドブックを見ていたらパラリと新聞の切り抜きがこぼれ落ちた。
そこに「ミズバショウ咲く取立山と越前勝山温泉」のツアーの記事があった。
取立山?
初めて聞く山だ。
ヤマレコで調べる。
西日本屈指のミズバショウの群落があり、白山展望の山でもあるらしい。
しかも登山口からコースタイム3時間半で登って下りることが出来る。
そうだ取立山、いこう!


   


ネットでレンタカーとJRキップを予約する。
JR西ノ宮駅で発券してもらう。
夕方から海沿いの周回を走る。
  


東神戸大橋とサンデージョガー。
  


2月だったかイノシシ騒動で丸裸になった西宮浜もいつのまに雑草が繁茂する。
    


そのまま図書館まで走ってヤマケイの「福井県の山」を借りる。
  


夜は久々にパスタ、スパゲッティ・ボロネーゼ。  
  


明日は大阪駅7時10分のサンダーバードです。
早寝しなきゃと思うも寝たのは深夜1時でした。

2014/5/24 T氏に会いにいく

今日のベストショット。
1300年前、この単線の鉄路の先に藤原京という都があり白鳳文化が華開いた。
きょう、僕は藤原京の次に都となった平城京から南下、電車で15分、天理市大和郷にT氏を訪ねた。
このあたりが天理という名前になったのは戦後の話である。

 


…天気はいいのにブロンプトンもマラニックもしなかった。
いま、なし崩し的に運動習慣が失われているのだ。
じりじりと減退していく感じ。
こういうのが一番良くない。
その体たらくな状況をせめてこうして記録してくい止めようとしているのだが状況は変わらない。
明日は走るか、それが問題。


近鉄電車で奈良へ行く。
JR奈良駅まで歩く。
何年ぶりだろうか。
20年ぶり?
いや、それ以上かも知れない。
奈良テレビの仕事をしていた頃、おそらく1980年代後半。
30年ぶりじゃないか。
今日見て変貌ぶりに驚く。
高架になって駅前にショッピングセンターやホテルが建ち並び…新幹線の駅みたいだ。
奈良は大観光地だ。
当然かも知れない。
でも、かつてのJR奈良駅を知ってる身としては&#21854;然とする。
あの牧歌的な駅は跡形もない。


正確にはかつての駅舎はあった。
いまは観光案内所になっている。
聞くところによると建物ごと移動させたのだという。
  


JR奈良から和歌山行きに乗る。
和歌山へ直通列車があるのは驚きだった。
桜井、大和高田、御所、五条、紀ノ川沿いに橋本を経由して和歌山まで。
いちど乗ってみたい。
桜井線の駅名がいい。
京終と書いて「きょうばて」、帯解で「おびとけ」と艶っぽい。
櫟本「いちのもと」は読めなかった。
考えてみれば畝傍(うねび)も耳成(みみなし)も日本史や百人一首で知ってなかったら読めない。
きょうの降車駅は長柄(ながら)です。
  


仕事の大先輩Tさん(玉戸氏)に会った。
最初に会ったのは僕が25、玉戸さんが38だったと思う。
訪ねるのは3年連続3回目だ。
一昨年は1月、まだ寒い季節。
去年は3月早春、そして今年は5月後半になってようやく腰を上げた次第。
そういえば去年の訪問記は写真のみで何も書いていない。
2012年 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20120119/1326899702
2013年 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20130313/1363139784


お元気そうでした。
  


今年は公私どもども色々とあって渦中のY田正男を誘う。
T氏は京都の銀閣寺からこの生まれ故郷に戻って10年になるという。
以前、手紙をもらい、そこに大和郷という郷里の歴史を調べていると書き記してあった。
失礼ながら僕はそのことを失念していた。
「例のあれ、いろいろと進んでてなあ。まあ、聞いてくれ…」と言われた時は、
はて、なんのことか? と思ったがもちろん知ったかぶりをした。
T氏は手描きの地図(神社の配置図)を見せて、古代や中世に住んだ先人の思惑に思いをはせる。
だからな、そういうことなんだよ、わかるだろ?
おい、シオダ、聞いてるのか(怒)
T氏は僕らにそんな話をするのがとても楽しそうだった。

  


写真のお酒はT氏宅の冷蔵庫にあったもの。
Y田正男が一掃してくれました。


Tさんはお元気でした。ことし69歳になる。
昭和20年生まれ とんでもない年に生まれた方です。
僕らの年齢になると年上の人と話したり飲んだりすることは少なくなる。
(当たり前ですけど)先輩面され呼び捨てされるのが意外と快感。
ある意味、若返る。

  

 

桜井線の無人駅長柄のホームにたたずむ渦中のY氏。
Y氏嫁はT氏を丹波篠山に呼ぼうと画策している。
このホームに立つY氏のジャケットのポケットには

T氏宅でくすねてきた缶ビールが入っている。
普段はそれほど飲んではいないというが、

飲むと決めた時の飲み方はやっぱりアル中的である。

  


以後は行動記録。
奈良市内で少しだけ飲む。
お目当てのならまち「蔵」へ行くも予約で満席。
2年前に初めて行った時は僕一人だったのに超人気店になってしまった。
店の人たちはあたたかくのんびりした印象だったけど…。
奈良の地酒を試飲する立ち飲みで一杯ずつ、近鉄奈良駅構内の立ち飲み「豊祝」で2杯飲む。
僕は近鉄、T氏はJRで帰宅す。


  


嫁が法事で広島へ行っている。
作り置きのカレーライスで家メシ。

 

2013/5/24 Daytrip View 小豆島 坂手港〜神戸

おむかえでゴンす、とフェリーボートがやってきました。
高松からのジャンボフェリー「こんぴら2」です。
朝、神戸から乗った同じ船です。


夏の午後、油を流したような海を音もなくお迎えが来る。
人が死を迎えるときも穏やかでありたいと思う。
  

神戸-小豆島 往復3300円、片道(ゆき)1800円、(かえり)は1500円です。
今、この便が関西から小豆島へ渡るのに最安であり、かつ最短であるというのは凄いと思いません?
飛行機も、新幹線も、高速道路も無いということです。


途中の景色も、旅情も、乗り心地も僕の私見で3☆レベル。
  


1500円でこんな夕景が見られる。
  


東の空にはほぼ満月が…。
贅沢な時間です。
  


あさっては小豆島でマラソンがある。
明日からのフェリーは混むのだろうな。
このオリーブマラソン、走ってみたい。
  

 
帰りもこいつが乗ってました。
  


播磨灘の落日。
  


阪九フェリーだ!
朝、ジョギングやロードバイクのコースから六甲フェリーターミナルに停泊してる船。
動いてるのを見るのは初めてです。
お、働いてるやん、って感じ。
今から北九州新門司港へ行くのですね。
  


帰りの「こんぴら2」の車両デッキは満載でした。
  


あら、お早いお帰りで、と神戸が迎えてくれました。
  

 

と、ここまでは最高の旅だったんですが…!

2013/5/24 Daytrip View 小豆島 岬の分教場

三太郎でうどんを食べて、金両醤油でお土産を買って、午後は岬へ向かう。
岬の分教場は「二十四の瞳」の舞台となったところだ。
適度なアップダウンのある海沿いの道は小豆島ツーリングのハイライトだ。
本当に気持ち良かったです。


こんな海岸線のアウトラインをトレースする島一周も辛くない。
いや、風はそよ風、海も山も美しく、最高の時間だった。

  


映画では女学校を出たばかりの大石先生(おなご先生)が自転車で通勤する。
当時はもちろん未舗装、1時間以上の道のりだった。
「こんどのおなご先生は洋服着て自転車に乗ってモダンガールやのう」
http://www.youtube.com/watch?v=i498bkIwEcI
  


映画はモノクロだけど実際の海は天然色です。
  


ボンネットバスの停車場、醤油作りの杉樽が待合ベンチになっている。
  


岬の分教場からさらに600mほど先に「二十四の瞳 映画村」がある。
映画村の前に渡し船の桟橋がある。
今も映画村の前の売店から電話すれば渡し船が来てくれるそうだ。
子供たちのいたずらで脚をケガした大石先生は渡し船でやってくるのだ。
  


僕が日本映画史上もっとも美しいと思うシーン。
この桜の林も小豆島にある城山公園だ。
坂手から土庄へ行く途中にある。
いつか桜の季節に行きたい。
  


『二十四の瞳』のデジタルリマスター版を2007年に劇場のモーニングショーで見た。
その日の日記をコピペします。


   木下恵介監督「二十四の瞳」(昭和29年)のデジタルリマスター版、
   セルジオを誘ってオッサン二人でモーニングショーです。
   劇場に入ると客層が面白い。
   60代〜70代の夫婦連れとおばちゃんグループ、ちらほらと30代の映画マニア。
   僕ら50代はここでは若手に属するようだ。


   2時間強の長い映画。
   とにかく僕は画面に映し出される風景に釘付け、
   今では決して見られない貴重な民族資料館的な映画です。
   「歌」の映画でもある。
   次から次へと休むことなく歌が流れる。
   「仰げば尊し」「村の鍛冶屋」「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」
   「おぼろ月夜」「庭の千草」「蛍の光」他にもいっぱい。


   有名な大石先生(高峰秀子)と子供達が満開の桜の下で機関車ごっこをするシーンでは、
   「ちょうちょ」として僕らが知っているメロディーで、


   ♪汽車ははしる けむりをはいて しゅしゅしゅ しゅしゅしゅ
    しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅ
    トンネルぬけて てっきょう渡り
    汽車ははしる しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅ


    と歌う。


    劇場ではジジババの鼻をすする音があちこちで聞こえる。
    懐かしい時代の歌と、悲劇的になってくる物語。
    涙腺がゆるくなったジジババにはたまらないだろう。
    かくいう僕もクライマックスの同窓会のシーンでは涙がこぼれた。
    あの安西水丸もこの映画では涙が止まらなかったと書いている。


    ラストは雨の中、
    年老いた大石先生が合羽を着て自転車で行くシーンに“仰げば尊し”が流れる。
    そして、人生は続く、である。


   


    映画は昭和3年から昭和21年を描く。
    大石先生の教えた岬の分教場の子供達は大正生まれ、
    戦争が始まった昭和16年頃には成人を迎える。
    この100年では一番ハズレくじをひいた人々だ。
    男は戦死、女の多くは未亡人になったり、あるいは結婚しなかった世代だ。


    また、戦争反対=アカ=犯罪者 という時代だった。
    今では当たり前のように「戦争には反対です」と言えるが、
    当時、反対と言えばアカだと言われ逮捕、投獄、拷問だった。
    アカだと言われたくなければ、戦争で死ぬのは本望です、子供が死んでも名誉です と言わねばならない。
    大石先生は、教え子を殺したくない と言いアカと呼ばれる。
    この日、映画を観ていた70代の人たちはそんな時代を生きてきたのだ。


    <iframe width="640" height="380" src="http://www.youtube.com/embed/pWMgur5te8M" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


    大石先生は今ならダメ教師だ。
    青春ドラマに出てくる村野武則や中村雅俊、あるいは金八先生のように自分から行動して道を切り拓く熱血先生ではない。
    優秀なのに家が貧乏で中学へ進学できない子供の親を説得しようとして、
    逆に親にまくしたてられ、私どう言ったらいいかわからないわ、と俯いてしまう。
    挙げ句の果てに 教師なんてやめてしまおうかと思うの と本当に辞めてしまうのだ。
    イノセント(無垢)でトロくて美人のダメ先生なのだ。
    でも、そういうスーパー先生じゃないとこが庶民感覚で受けるたのかも。
    時代に流される無力な庶民、でも戦争には疑問を持ってる…。


    子役が成長していく。
    兄弟姉妹をオーディションで集めたらしく、
    すごくよく似ている、あっぱれである。
    ハリウッド映画で あんなに似た子役をよく見つけたなあ と驚くが、
    日本映画も黄金時代はこのくらいはやっていたのだ。

 

    大石先生の夫役(戦死する)は何と天本英世だ。
    クレジットには(俳優座研究生)となっている。
    死神博士やスペインの放浪役者の若き日である。


    高峰秀子は自伝「わたしの渡世日記」で、
    木下監督から「こんどの映画は“二十四の瞳”と言うんだ」と知らされ、
    まあ、気味が悪い、二十四も瞳があるなんて 怪奇映画かしら と思ったそうな。

 

映画村にある分教場は1987年版(田中裕子主演)のロケセットらしい。
  


教室の椅子に座ってみた。
驚くほど小さい。
当たり前か。
「二十四の瞳」は松下奈緒主演で今年またリメイクするらしい。
  


「八日目の蝉」(未見)という映画も小豆島を舞台としているらしい。
生まれたばかりの赤ん坊を誘拐した愛人(永作博美)の逃亡先が小豆島だった。
思えば俳人尾崎放哉(ほうさい)が流浪の末にたどりつき晩年を過ごしたのもこの島だった。
次は放哉ゆかりの地を訪ねたい。
晩秋がいいかもしれない。
 
 

団体客がいなかったせいか映画村はしずかで気持ちいい空間だった。
何よりもロケーションが最高だ。
  


映画村より手前にある本物の分教場。
1954年版の撮影はこちらで行われた。
セットではなく実際に当時使われていた校舎だ。
案内のおばちゃんが大石先生が顔を覗かせていた窓だと教えてくれた。
 
  

  


映画村では毎日ずっと1954年版の『二十四の瞳』を上映している。
その気になれば2時間強の全編をスクリーンで見ることが出来るのだ。
いつかまた、と思う。

 

…この日、撮った写真をモノクロにしてみました。
(ちょっとピンぼけだけど)
いつの時代の写真かわからない。
   


   海の色も、山の姿も、そっくりそのまま昨日につづく今日であった。
   しかし八年の歳月は住む人と取り巻く社会を大きく変えた。
   日華事変が起こり、日独伊防共協定が締結され、国民精神総動員の運動が生活を監視した。
   戦争がすべてを支配した。                    

           
                              (壺井栄「二十四の瞳」より)


こんな島の風景を撮りながら、この小説や映画に流れた八年という歳月を思う。

2013/5/24 Daytrip View 小豆島 寒霞渓

高松との定期便の発着する草壁港から北上、山登りに入る。
ゆるやかだがダラダラと長い登りが続く。
内装3速のギアはすでにもっとも軽いところに固定されたままだ。
幸い交通量は極端に少ない。
観光幹線道路なのだろう、道幅もある。
ジグザグに登っていく。
こういうときに小回りの利く小口径車は扱いやすい。
むろんスピードは出ないがしつこく粘ればグングンと高度は稼げるのだ。


瀬戸の青い海から登り始めて、気がつけば緑の海だ。
緑の波間をあえぎながら、ときに溺れるようにブロンプトンは進む。
  


自撮りするくらいには余裕があるが、正面にどーんと迫る山を見て気も萎える。
写真では平坦に見えるがここだって結構な登りなのです。
  


この風景は自力で得たもの。
小豆島町の中心部と内海湾(うちのみわん)、その先の半島は岬の分教場へと続く。
  


草壁港から6キロの登り、標高300m 寒霞渓のロープウェイ乗り場まで登る。
ブロンプトンを折りたたんでゴンドラにのせる。(別料金+200円)
300mほどの高度はお金で解決することに。
ちょっと後ろめたいが無理は禁物。
背徳のダウンヒル。
  


乗り場にはほぼ寝たきりの番犬と我が物顔の山猿。
  


寒霞渓は日本三大渓谷美とか三大奇景とか。
見事な新緑だということは紅葉の季節の美しさは想像に難くない。
特筆すべきはこの山岳風景が島にあるということ。
彼方に瀬戸の海が見える。
  


ゴンドラは緑の海に浮かんでいる。
  


寒霞渓の展望所、見応えがあります。
300mほどズルして登ってきました。
  


am11:36 小腹が空いたのでオリーブ牛コロッケバーガーと缶ビール。
バーガーは300円と観光地にしてはリーズナブル、美味しかったです。
  


寒霞渓からは下り一方かな、と思っていたら2キロほど登りが続く。
最高峰の星ヶ城の登山口までまだ100mほど登っていたのだ。
  


車載カメラっぽく自分撮りするが心拍数は上がってます。
  


そして、快適なダウンヒル。
眼下に内海湾、周りは新緑の森。
なだれおちるような若葉緑の中、下の方でカッコウが鳴いている、という詩があるけど、僕自身が緑の中を雪崩れ落ちていく感覚。
僕がブロンプトンに乗って最高速を記録したと思う。
でも、56歳なので慎重にブレーキングして下りました。
恐いですから。
  

 

小豆島は映画『八日目の蝉』の舞台となったらしい。(映画は未見)
その予告編にこんなカットがある。
  

 

草壁のフェリーターミナルに讃岐うどんの店があり、登る前にチェックしておいた。
「三太郎」という店で、ざるうどんが520円とちょっと高いかなと思ったが正解だった。
旨い!
麺もつゆもかなりレベルが高い。
そうか、ここはうどん県だった。


食べたのは細切りざるうどん。
たまたま空いていただけで売り切れで食べられないときもあるくらい人気店らしい。
http://tabelog.com/kagawa/A3705/A370501/37000833/
  


島の杉樽仕込みの醤油を購入しました。
丸大豆醤油小瓶とだし醤油の小瓶、ヒロに頼まれていたオリーブオイルとガーリックオイルも購入。
この時期、小豆島産のオリーブオイルは在庫がないそうでスペイン産でした。
  
  


次は…海岸線を箸って岬の分教場へ行きます。

2013/5/24 Daytrip View 小豆島 坂手港

am 9:01
第一印象、小豆島は島そのものが山だった。
こんぴら2が低速でゆっくりと坂手港へ入って行く。
遠くから見ると、平地がない! と思われた島だったけど近づくと街並みがある。
平地もあるのだ。

  


どーんと迫ってくるような山。
最高峰の星ヶ城(817m)あたりだろうか。
寒霞渓はピークの左手、200mほど下がった画面の端っこあたりだ。
  


この島はご存知「二十四の瞳」のロケ地.。
1987年版の映画で渥美清の語り(ナレーション)がある。
(1954年の高峰秀子版では字幕のみ)
「海の色も、山の姿も、きのうに続くきょうでした」
建物や道は変わっても、僕がいま船から見ている海と山の姿は当時と何ら変わっていないのだろう。
そう思うと感無量、映画のシーンや子供たちの歌声がよみがえってくる。


   ♪ あした はまべを さまよえば むかしのことぞ しのばるる

 

am 9:12
こんぴら2が坂手港に着岸。
観光客らが僕を入れて10人ほど下船する。
このあと船は高松へ向かうのでした。
  


ブロンプトンも小豆島初上陸。
島の旅、船の旅は旅情があっていいですね。
電車と違いフェリーの中ではカバーなし、船室の片隅に置いておきました。
  


坂手の埠頭にもゲージツが…!
ヤノベケンジ氏の作です。
  


坂手港はこんな感じです。
350mほどの山が海からせり上がっています。
  


小豆島といえばマルキン醤油。
大看板が出迎えてくれます。
  

 

10時前に坂手を出発する。
朝の部と昼の部との2部構成でざくっとした予定を決めておく。
朝は、坂手〜草壁〜寒霞渓、寒霞渓はブロンプトンで登るのは無理なのでせめてロープウェイ乗り場まで頑張る。
昼は、昼食後に坂手に戻り岬の分教場、映画村など海岸線を走る。
フェリーは1620発、これには遅れるべからず。


走り始めると醤油を炊いた匂いに包まれる。
それと醪(もろみ)の匂いだろうか。
子どもの頃、中学への通学路に醤油や味噌の工場があったのを思い出す。


醤油、佃煮の工場や直売店が並ぶ。
原料の大豆や小麦が島で獲れるわけではない。
小豆島は塩の産地。
戦前は九州から大豆を運んでいたという。
  
  

思わず立ち止まって何枚もシャッターを切る。
マルキン醤油の工場の古い板塀、その先にシンボリックな岩山。
  

 

 


昼過ぎに訪れた「二十四の瞳 映画村」で教室に飾られたパネル写真を見て驚く。


  


そうかあ、巨匠 木下惠介もここに目をつけたいたのかあ。


草壁港からいよいよ寒霞渓への登りにさしかかる。
丸島醤油の工場を過ぎ、息を切らせて15分ほど登る。
ロードサイドにオリーブの木。
小豆島はいつからオリーブの島になったのだろう?
  


観光案内のWEBページにありました。
http://www.olive.or.jp/olive/history.html


   日露戦争で獲得した広大な漁場から獲れる鰯等を保存、輸送しようと油漬けの缶詰を製造することになりました。
   その製造のためにオリーブオイルが必要となり、1908年に香川(小豆島)、三重、 鹿児島の3県が栽培試験地に指定、小豆島だけが実を結びました。
   しかし、オリーブを栽培するのもオリーブ製品を作るもの全くの手探り。
   試行錯誤繰り返しながら今のオリーブに至りました。

 

ヒロから「オリーブオイル買ってきて」とメールが入る。
オリーブにあまり興味の無い僕は心拍数を120くらいに上げて寒霞渓への向かうのだった。

2013/5/24  Daytrip View 西宮〜明石海峡大橋

am5:02
起床は4時過ぎ、5時間眠れたから身体は重くない。
長い一日になるであろう小豆島デイトリップの始まりは自宅から香櫨園までブロンプトンで5分自走。
ロードバイクに比べ輪行が超イージーなのでブロを選択しました。
  


さっと折りたたんで1分以内、カバーをかけても1分半。
三宮行きの阪神電車もストップ&ゴーが得意のジェットカー、自在の停止&発進、自慢のクイックネス。
機敏なバスケットボールプレーヤーのような電車です。
  


am 5:14
石垣島の農場労働者も書いていたが早起きは三文の得。
この時間帯は世界が見違えて見える。
光りが、色が、透明感が、空気の清浄さが違う。
世の中には2種類の人間がいる。
午前5時の世界で起きている人間と寝ている人間だ。
天然の照明さんや効果さんがいい仕事をする。
平凡な景色に価値が宿る。
  


am 6:02
三宮駅東口からエレベーターで地上へ上がると南のそごう側に出る。
すぐに組み立てて神戸港第3突堤へ走る。
10分で到着、往復チケット3300円をピタパで購入して乗船。


ジャンボフェリー「こんぴら2」!
1987年、国鉄分割民営化の年、まだ年号が昭和だった。
4月から8月、高松に住んでいた。
そのころ、青木にあったフェリーターミナルと高松東港を結んでいたジャンボフェリーには幾度となく乗った。
その後、神戸側の発着が神戸中突堤に変わった。
「こんぴら2」は1989年(平成元年)にデビューした。
ピカピカの新造船だった。
平成になっても僕は不定期に高松の仕事を続けていた。
この船で何度往復しただろうか。
僕が乗るのもおそらく20年ぶりくらいだ。
内装は少し変わっただろうか。
記憶にあるような無いような…。


6時過ぎに出港。
前夜、ヒロの作った鮭おにぎりを食べる。

  


am 6:19
天気晴朗、波静か。
夏空に一点の曇りなし。
左からポートタワー、オリエンタルホテル、ホテルオークラの神戸港の3点セット。
背後には六甲の緑の屏風。
  


  


am 6:55
小豆島航路、前半のハイライトは明石海峡大橋の吊り橋くぐり。
  


最上階のデッキにこんなやつが住みついていました。
現代芸術家ヤノベケンジ氏制作の「とらやん」だそうです。
http://www.shoudoshima-ferry.co.jp/setouchi-artfest.html
  


こんな青空は滅多にない。
早朝の空は濁りがない。
  


振り返って舞子、垂水、須磨側を見る。
僕がジャンボフェリーに繁く乗っていたころ、この世界最大の吊り橋はまだ無かった。
震災を経て1998年に完成した。
それにともなって淡路阪神間のフェリーの路線ががいくつも廃止された。
甲子園と津名を結ぶ甲子園フェリー、懐かしいなあ。
  


7時過ぎからしばらく仮眠。
次は小豆島初上陸です。